概要

  • 認可、竣功などの日付は原則として国立公文書館(www.archives.go.jp) が所蔵する公文書(鉄道省文書)を情報源とします。ただし公文書が残されていないものは出典を明記したうえで社史のほか、市販の書籍など2次情報を参照しています。
  • 竣功後の改造は車両称号の変更を伴うものに限ります。
  • 目黒蒲田電鉄と東京横浜電鉄の間で複数回異動(別会社なので譲渡、譲受の扱い)が行われた車両が多数存在しますが、表の煩雑化を避けるため本ページではその情報を含めていません。
  • 目黒蒲田電鉄、東京横浜電鉄ともに前半に「デハ」→「モハ」への記号変更が行われたものと推定されます。記号変更そのものの書類は存在しないため、本ページの表中には含めていませんが、その時期に全車両が記号変更を行ったものと判断して取り扱います。
    • デハ200形を例に取ると、の書類ではデハ二〇〇號とあるのに対し[1]、同年5月4日の書類ではモハ第二〇〇號形式[2]となっています。
    • に製造されたモハ500形は同年12月に提出された竣功届にすでに形式モハ五〇〇號とあるため[3]、例外的に先駆けて新しい記号が採用されたものと思われます。
    • の東京急行電鉄発足に際しての改番では再び「デハ」とされ、現在に至ります。
  • 表中の鉄道事業者および車両譲渡先の名称は以下のとおり省略表記しています。
    • 目蒲:目黒蒲田電鉄
    • 東横:東京横浜電鉄(に目黒蒲田電鉄と合併する前まで)
    • 新東横:東京横浜電鉄(旧・東京横浜電鉄と合併した目黒蒲田電鉄がその直後のに「東京横浜電鉄」へ商号変更して以降)
    • 池上:池上電気鉄道
    • 五日市:五日市鉄道(現:JR 五日市線)
    • 神中:神中鉄道(現:相模鉄道)
    • 江ノ電:江ノ島電気鉄道(現:江ノ島電鉄)
    • 越中:越中鉄道(後の富山地方鉄道射水線、1980年廃止)
    • 駿豆:駿豆鉄道(現:伊豆箱根鉄道駿豆線)
    • 福武:福武電気鉄道(現:福井鉄道)
    • 阪急:阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)
    • 野上:野上電気鉄道(1994年廃止)
    • 芝浦:芝浦製作所(現:東芝)

デハ1形、6形 → モハ1形、6形 → モハ1形

デハ1形は目黒蒲田電鉄の最初の路線である目黒―丸子間がに開通するのに伴い、貨車のデト1形ト1形とともに製造された全長11m級の小型車です。

同年11月の蒲田延伸に際しては車体幅を少し広げた5両が増備されました。この増備車は当初はデハ6形として形式が区別されていましたが、記号をモハに変更した後、遅くともにはモハ1形に統合されています[4]

大東急成立の直前に全車が神中鉄道(現:相模鉄道)に譲渡され、姿を消しました。

車号 発注 購入 譲渡
申請 認可 竣功
デハ1→モハ1 目蒲 車両購入許可申請書 監第2517号 目電第78号 車両竣功図表提出届 目蒲→神中
デハ2→モハ2
デハ3→モハ3
デハ4→モハ4
デハ5→モハ5
デハ6→モハ6 目蒲 目電第124号 車両購入認可申請書 監第663号 目電第293号 車両竣功御届
デハ7→モハ7
デハ8→モハ8
デハ9→モハ9
デハ10→モハ10
  • デハ1〜5 の購入申請書類の表題は許可申請(認可でなく許可)となっているが、おそらく単なる記載ミスで、監督局側からも言及されることなく認可として処理されている。
  • 神中鉄道(現:相模鉄道)への譲渡は届出書類が残されておらず詳細な時期は不明だが、神中鉄道側の譲受使用認可申請はに提出されている[5]

形式不明(製造中止)

目黒蒲田電鉄が10両の新製を計画しつつも実現しなかった車両で、購入認可申請の後、認可前に申請が取り下げられています。取り下げの理由は更ニ改良設計ノ上申請致度候とあるものの、タイミングからすれば後述の鉄道省車両の譲受(デハ20形)が行われることになったため新製を取り止めたものと思われます。

車両の詳細な仕様は不明ですが、申請時の書類に残された断片的なデータによると、デハ1形、デハ6形と台車軸距は同一ながらよりやや長い車体を持ち、座席が4か所に分かれているとあるため中間ドアを持つものであったようです。

車号 計画 購入
申請 取下
未採番(10両) 目蒲 目電第54号 車両購入認可申請書 目電第152号 取下願

デハ20形 → モハ20形

開通から1年が経ち乗客が急増する中で、には東京高等工業学校(現:東京工業大学)が大岡山に移転することとなり、車両不足解消のために鉄道省で山手線 1200V 昇圧に向けて余剰となった木造ボギー電車デハ6260形を借り入れることとなりました。

デハ6260形の製造当初の形態は正面形状が曲面を描いた5枚窓をしており、運転台脇のドアは折戸でしたが、鉄道省時代のから翌年にかけて行われた改造工事でそれぞれ角形3枚窓、引戸へ交換されており[6]、借入の時点では貫通扉がないことを除き後述するデハ40形(鉄道省デハ8285形)と似た形態になっていました。

同年中には譲受となりましたが、借入時と譲受時で鉄道省の車号が異なっており、認可書類によると監督局側で書面上の処理が行われたようです。

後に半鋼体化改造が行われてモハ150形となり、1970年代後半まで長く活躍しました。

車号 所属 借入
申請 認可
鉄道省デハ6269 目蒲 目電第60号 鉄道省所属電動客車運転認可申請書 監第484号
鉄道省デハ6275
鉄道省デハ6277
鉄道省デハ6278
車号 前所有 所属 譲受 半鋼体化 備考
申請 認可 竣功 申請
デハ21→モハ21 鉄道省デハ6261–6264 目蒲 目電第299号 鉄道省電動客車譲受運転認可申請書 監第2259号 目電第111号 車両竣功御届 モハ20形→モハ150形 目電丑第1404号 電動客車設計変更認可申請書 以降モハ150形
デハ22→モハ22 モハ20形→モハ150形 目電寅第1360号 電動客車改造認可申請ノ件 以降モハ150形
デハ23→モハ23
デハ24→モハ24

デハ30形 → モハ30形(初代)

デハ20形の譲受に続けて翌にも鉄道省より同じくデハ6260形の8両が譲渡されました。同型車のため認可を伴わない届出での譲受でしたが、どういうわけか続番ではなく新たにデハ30形と区分されています。

までに全車が他鉄道へ譲渡されて短期間に消滅しました。

車号 前所有 当初所属 譲受 廃車/譲渡
届出 竣功 申請 認可
デハ31→モハ31 鉄道省デハ6269–6273, 6275, 6277, 6278 目蒲 目電第56号 鉄道省電動客車譲受運転届 目電第168号 車両竣功御届 目蒲→駿豆 目電巳第1631号 電動客車譲渡認可申請書 監第3514号
デハ32→モハ32
デハ33 東横→駿豆 東横卯第1387号 電動客車譲渡譲受認可申請書 監第2356号
デハ34
デハ35→モハ35 目蒲→芝浦 目電巳第1647号 電動客車廃止認可申請書 監第3538号
デハ36 東横→駿豆 東横卯第1387号 電動客車譲渡譲受認可申請書 監第2356号
デハ37
デハ38→モハ38 目蒲→駿豆 目電巳第1631号 電動客車譲渡認可申請書 監第3514号
  • デハ35 の廃車は認可書類では単に廃止とあるが、定説では芝浦製作所(現:東芝)に売却されたのち鶴見臨港鉄道(現:JR 鶴見線)に譲渡されたとされている。公式の文献では 東京横浜電鉄沿革史 p.512 (国立国会図書館デジタルコレクション) に芝浦製作所へ譲渡されたことまでが書かれている。

デハ100形 → モハ100形

東京横浜電鉄の前身である武蔵電気鉄道では、現在の東横線にあたる本線のほか多数の支線の免許獲得時における数多の困難を乗り越えた末、に祐天寺―神奈川間を2区間に分割して工事施行認可申請を行った時点で、路線規格を軌間 1,435mm、架線電圧 1,200V で計画しており、旅客車両は 105㏋・600V 主電動機を4台搭載したものが想定されていましたが、会社が目黒蒲田電鉄の傘下に収まったのち、に鉄道省や目黒蒲田電鉄との直通運転を見越して軌間 1,067mm へと計画変更し[7]、同年中に貨車のデワ1形デト1形とともにデハ100形の認可申請が行われました。

本車は半鋼製車体となった一方で当初はトラス棒付き、トロリーポール併用(デハ101〜105 のみ)であるなど過渡期の形態をした車両です。最初の5両はの竣功と同時に目黒蒲田電鉄への譲渡申請が行われ(目蒲側での譲受竣功は翌年3月)、また翌製造の7両は目黒蒲田電鉄にて増備されたため、当初の数年間は全車が目蒲の所属となっていました。

車号 発注 購入
申請/届出 設計変更申請 認可 竣功
デハ101→モハ101 東横 庶第923号 車両購入認可申請書 監第2149号 庶第1872号 車両竣功御届
デハ102→モハ102
デハ103→モハ103
デハ104→モハ104
デハ105→モハ105
デハ106→モハ106 目蒲 目電第112号 電動客車購入御届 目電第180号 電動客車設計変更認可申請書 監第1752号 目電第222号 車両竣功御届
デハ107→モハ107
デハ108→モハ108
デハ109→モハ109
デハ110→モハ110
デハ111→モハ111
デハ112→モハ112
  • デハ106〜112 は東京横浜電鉄から譲渡されたデハ101〜105 と同一設計として認可を伴わない届出による手続きが行われたが、に発生した東洋電機製造の横浜工場火災による影響で主電動機の 65㏋ → 75㏋ 化(デハ106 を除く)や集電装置をパンタグラフ&トロリーポール併用からパンタグラフのみにするといった設計変更が行われることとなり、結局認可を伴う申請手続きとなった。

デハ40形 → モハ40形 → モハ25形

デハ20形、デハ30形に続き、にも鉄道省車両の譲受が行われましたが、種車はそれまでのデハ6260形から変わり、デハ6250形とデハ6285形になりました。

これらの車両はもともと東京横浜電鉄が譲受するものだったようですが、前述のデハ100形5両とともに目黒蒲田電鉄で使用されることとなり、デハ100形分の見返りとして譲り受けた10両のうち6両は阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)へそのまま譲渡されました[8]。そのため実際に認可を受けたのは4両で、いずれもデハ6285形の車両となります。

デハ40形として活躍した車両のうち1両は後にモハ25形へ形式変更されましたが、モハ42→モハ25 の改番届における記述の中でモハ40形は41号車1両が残るとあるため、短期間ではあるもののモハ40形とモハ25形が1両ずつ併存していたことになります。

車号 前所有 所属 譲受 改番 廃車/譲渡 半鋼体化 備考
申請 認可 竣功 届出 申請 認可 申請
デハ41→モハ41 鉄道省デハ6293, 6294 目蒲 目電第166号 鉄道省電動客車譲受使用認可申請書 監第1557号 時期不明 目蒲→芝浦
デハ42→モハ42→モハ25 モハ42→モハ25 目電巳第1902号 電動客車形式称号及番号改正届 目電丑第1404号 電動客車設計変更認可申請書 以降、モハ150形
デハ43 鉄道省デハ6288 目蒲→福武 目電第159号 電動客車譲渡認可申請書 監第1221号
デハ44 鉄道省デハ6295
車号 前所有 譲渡
デハ45 鉄道省デハ6285 目蒲→阪急
デハ46 鉄道省デハ6254
デハ47 鉄道省デハ6256
デハ48 鉄道省デハ6257
デハ49 鉄道省デハ6289
デハ50 鉄道省デハ6290
  • 鉄道省車号と目蒲車号の対照は車両竣功図表による(認可書類には個々の対照は書かれていない)。
  • モハ41 は譲渡の認可書類が残されておらず足取りは追えないが、定説ではに芝浦製作所(現:東芝)に売却されたのち鶴見臨港鉄道(現:JR 鶴見線)に譲渡されたとされている。上表における譲渡実施時期は 東京横浜電鉄沿革史 p.512 (国立国会図書館デジタルコレクション) による。
  • デハ45〜50 の6両は目黒蒲田電鉄において阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)への譲渡認可申請は出されていない。参考までに、阪急側での認可申請は、認可は同年5月21日に行われている。

デハ200形 → モハ200形

大井町線の開通(大井町―大岡山間)に伴う増備で、屋根の深いいわゆる川造型電車です。川崎造船所の兵庫工場(現:川崎車両)ではに阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)向けの全鋼製車を完成させており[9]、本車も阪急600形、800形とよく似た形態をしていますが、全鋼製ではなく半鋼製車とされました。

このうちモハ203 はに改番されています。これは前述のモハ42→モハ25 と同時に行われたもので、他にデハ300形モハ510形モハ150形も末尾 3 を避ける付番が行われています。

車号 発注 購入 改番
申請/届出 認可 竣功 届出
デハ201→モハ201 目蒲 目電第431号 車両購入認可申請書 監第220号 目電第90号 車両竣功届
デハ202→モハ202
デハ203→モハ203→モハ200 モハ203→モハ200 目電巳第1902号 電動客車形式称号及番号改正届
デハ204→モハ204
デハ205→モハ205
デハ206→モハ206

デハ300形、クハ1形 → モハ300形

デハ200形と同じく川崎造船所兵庫工場(現:川崎車両)で製造された車両で、形態もよく似ていますが、主電動機が 75㏋ → 105㏋ となり、台車も大型化されています。同時に制御車としてクハ1形が製造されましたが、主電動機と集電装置、電動空気圧縮機を装備しないほかは電動車と同じ仕様でした。制御器(マスコン)も2個装備していたとされているため[10]、運転台も電動車と同じく両側にあったものと思われます。

制御車のうちクハ5 は製造の翌年に電装化されてデハ306 となりましたが、制御装置は唯一両のみ東洋電機製造の電動カム軸式が搭載されたことが特筆されます。ほかの4両もその2年後には電装化されたため、クハ1形は短期間のうちに形式消滅しました。

車号 発注 購入 改番
申請 認可 竣功 報告
デハ301→モハ301 目蒲 目電第240号 車両購入認可申請書 監第2286号 目電第335号 車両竣工届
デハ302→モハ302
デハ303→デハ307→モハ307 デハ303→デハ307 目電第1713号
デハ304→モハ304
デハ305→モハ305
車号 発注 購入 電装
申請 認可 竣功 申請 認可 竣功
クハ1→モハ311 目蒲 目電第240号 車両購入認可申請書 監第2286号 目電第335号 車両竣工届 クハ1形→モハ300形
クハ2→モハ312
クハ3→モハ314
クハ4→モハ315
クハ5→デハ306→モハ306 クハ5→デハ306 目電辰第284号 車両設計変更認可申請書 監第1456号 目電辰第1078号 車両竣功届
  • デハ303→デハ307 の変更は改番届が出されていない(残されていない)が、に提出された車両代価の報告書(目電第1713号)(国立公文書館デジタルアーカイブ) においてデハ第三〇三號ハ都合ニヨリ第三〇七號ト變更致候とあるため、その前後に改番が行われたものと判断できる。
  • クハ1〜4 の電装は認可書類が残されていないため、実施時期は 鉄道ピクトリアル 1985年1月臨時増刊号 No.442 私鉄車両めぐり〔127〕 荻原俊夫 p.210 による。また新旧車号対照は Romance Car No.17 東京急行電鉄2 川垣恭三 p.10 による。

モハ500形

デハ200形、300形と同じく川崎車輛(現:川崎車両)による製造ですが、正面非貫通にドア間4枚窓、片隅式運転台など、これまでより大きく進化した車両です。

モハ500形が竣功した時期は他車は「デハ」の記号でしたが、本車の竣功届にはすでに形式モハ五〇〇號との記述があるため[11]、他車に先駆けて「モハ」を名乗ったものと思われます。

当時の旅客車としては珍しく目黒蒲田電鉄と東京横浜電鉄の間での異動が一度も行われず、両社の合併まで終始目蒲に在籍していました。

車号 発注 購入
申請 認可 竣功
モハ501 目蒲 目電辰第1524号 車両購入認可申請書 監第3962号 目電辰第1819号 車両竣功届
モハ502
モハ503
モハ504
モハ505

モハ510形

日本車輌製造と川崎車輛(現:川崎車両)であわせて50両もの大量製造がなされた車両で、メーカーにより車体や台車の形態に多少の違いはあるものの、製造時期によるバリエーションは意外と少なく、とくに最終増備のモハ552〜565 は在来車と同一設計として、認可を伴わない届出にて製造が行われました。

車号 発注 購入
申請/届出 認可 車両数変更 竣功
モハ510 東横 東横未第1224号 車両購入認可申請書 監第3255号 東横申第599号 車両竣功届
モハ511
モハ512 目電未第1005号 車両購入認可申請書 監第3256号 目電申第332号 & 東横申第350号 電動客車車両数変更御願
モハ514 目蒲 目電申第556号 車両竣功届
モハ515
モハ516 東横 東横申第846号 電動客車設計認可申請書 監第2931号 東横申第1404号 車両竣功届
モハ517
モハ518
モハ519
モハ520
モハ521 東横 東横戌第179号 電動客車設計認可申請書 監第1382号 東横戌第654号 車両竣功届
モハ522
モハ524
モハ525
モハ526
モハ527
モハ528
モハ529
モハ530 東横 東横亥第56号 電動客車設計認可申請書 監第604号 東横亥第598号 車両竣功届
モハ531
モハ532
モハ534
モハ535
モハ536
モハ537 東横亥第885号 車両竣功届
モハ538
モハ539
モハ540
モハ541
モハ542 目蒲 目電亥第439号 電動客車設計認可申請書 監第2037号 目電亥第1235号 車両竣功届
モハ544
モハ545
モハ546
モハ547 目電亥第1517号 車両竣功届
モハ548
モハ549
モハ550
モハ551
モハ552 目蒲 目電子第337号 車両増加届
モハ554
モハ555
モハ556
モハ557
モハ558
モハ559
モハ560
モハ561
モハ562
モハ564 東横 東横子第341号 車両増加届
モハ565
  • 第1次購入のモハ510〜515 は東京横浜電鉄が3両、目黒蒲田電鉄が2両の購入申請を行ったが、認可後に両数の記載に誤記があったとして目蒲、東横の両社から電動客車車両数変更御願が提出され、東横2両、目蒲3両となった。上表では便宜的にモハ512 を変更対象としているが、認可申請書や変更届において具体的な車号が記載されているわけではない。
  • 目黒蒲田電鉄モハ552〜562 の10両はモハ542〜551 と同一設計として、認可を伴わない届出にて増備が行われた。なお、実際はモハ542〜546 のみ主電動機の歯車比が他車と異なっていたため(当該車両の認可申請書類に記載)、モハ547〜551 と同一設計ということになる。
  • 東京横浜電鉄モハ564〜565 の2両はモハ530〜541 と同一設計として、認可を伴わない届出にて増備が行われた。

モハ15形(池上電気鉄道引継)

に目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道を吸収合併したことに伴い、池上の甲号車を引き継いだものですが、短期間に全車両が他鉄道へ譲渡されました。

車号 前所有 所属 池上合併に伴う改番 譲渡
届出 届出
モハ15 池上デハ3 目蒲 目電戌第1142号 電動客車形式称号、記号変更御届 目蒲→江ノ電 目電寅第1686号 電動客車譲渡届
モハ16 池上デハ4
モハ17 池上デハ5 目蒲→野上 目電亥第994号 電動客車譲渡届
モハ18 池上デハ6 目蒲→越中 目電亥第225号 電動客車譲渡認可申請書
  • モハ18 の越中鉄道(後の富山地方鉄道射水線)への譲渡に際しては認可申請の提出が行われたが、車両譲渡はより届出制となっていたため[12]、監督局にて届出として処理が行われた。
  • モハ18 は越中鉄道への譲渡の同年、7月29日の申請でさらに温泉電軌(後の北陸鉄道加南線)への譲渡が行われたが、越中鉄道側の申請書類において當社ニ於テ使用スルヨリ温泉電氣株式會社ニ於テ使用スル方總テノ奌ニ於テ有利ト認とあり[13]、また車両は東京横浜電鉄の元住吉駅構内にて引き渡すとされていることから[14]、越中鉄道への譲渡は書類上のことに過ぎなかったものと思われる。

モハ30形(2代目、池上電気鉄道引継)

池上電気鉄道デハ20形を引き継いだもので、目黒蒲田電鉄では2代目となるモハ30形を名乗ることになりました。この車両も鉄道省木造車を譲受したものですが、種車はデハ6310形であり、側面窓割などにモハ20形やモハ25形との違いがありました。

引き継ぎ後まもなくして4両が半鋼製化&電装解除されてサハ1形に、残りの車両もその数年後に半鋼製化でモハ150形となりました。

車号 前所有 所属 池上合併に伴う改番 半鋼製化 備考
届出 申請
モハ30 池上デハ20 目蒲 目電戌第1142号 電動客車形式称号、記号変更御届 モハ30形→モハ150形 目電丑第1404号 電動客車設計変更認可申請書 以降モハ150形
モハ31 池上デハ21
モハ32 池上デハ22 モハ30形→モハ150形 目電寅第1360号 電動客車改造認可申請ノ件
モハ33 池上デハ23
モハ34 池上デハ24
モハ35 池上デハ25 モハ30形→モハ150形 目電丑第1404号 電動客車設計変更認可申請書
モハ36 池上デハ26 モハ30形→サハ1形 東横子第81号 電動客車譲受並設計変更認可申請書 以降サハ1形
モハ37 池上デハ27
モハ38 池上デハ28
モハ39 池上デハ29

モハ120形(池上電気鉄道引継)

池上電気鉄道デハ100形を引き継いだものです。

車号 前所有 所属 池上合併に伴う改番
届出
モハ120 池上デハ101 目蒲 目電戌第1142号 電動客車形式称号、記号変更御届
モハ121 池上デハ102
モハ122 池上デハ103
モハ123 池上デハ104
モハ124 池上デハ105

モハ130形(池上電気鉄道引継)

池上電気鉄道デハ200形を引き継いだものです。

車号 前所有 所属 池上合併に伴う改番
届出
モハ130 池上デハ201 目蒲 目電戌第1142号 電動客車形式称号、記号変更御届
モハ131 池上デハ202
モハ132 池上デハ203

キハ1形

東京横浜電鉄ではモハ510形の増備が続く中、変電所増設をすることなく輸送力増強を行うため、ガソリン車が8両導入されることになりました。それに先立ち、に鉄道省より当時新製されたばかりのキハ36900形(後のキハ41000形)を借り入れての日中試運転が渋谷―桜木町間で行われています[15]

認可書類には二輛連結ノ急行用トシテ使用スとありますが、当時の急行列車のうちキハ1形が使用された列車はもっぱら単行で運用されていたようで、連結運転の実績は確認されていません(電車急行は2両編成の記録があります)。

変電所建設だけでなく動力費や運転費まで電動客車との経費比較が行われたうえでの導入だったものの[16]、新製の翌年には日中戦争の勃発により石油の消費規制が始まったことで、時点では渋谷―祐天寺間の区間運転を中心とした4両分しか使用できない状態となり[17]、早々に神中鉄道(現:相模鉄道)と五日市鉄道(現:JR 五日市線)へ譲渡されてしまいました。このうち五日市鉄道譲渡車は南武鉄道への合併を経ての戦時買収により国有鉄道(当時は運輸通信省)の籍を得たことが注目されます。東急電鉄および前身会社が新製した車両では唯一の事例でしょう。

車号 発注 購入 貸渡 譲渡
申請 認可 竣功 届出 延長届出 届出
キハ1 東横 東横亥第1415号 ガソリン客車設計認可申請書 監第951号 東横子第636号 車両竣功届 東横→神中(1939年9月25日〜12月24日) 東横卯第1561号 車両貸渡届 東横→神中(1939年12月25日〜翌年9月30日) 東辰第1054号 車両貸渡期間延長届 東横→神中 東辰第3498号 ガソリン客車譲渡届
キハ2 東横→五日市 時期不明 東横→五日市 東横卯第765号 ガソリン客車譲渡届
キハ3 東横子第717号 車両竣功届 東横→神中 東横卯第2493号 ガソリン客車譲渡届
キハ4 東横→神中(1939年9月25日〜12月24日) 東横卯第1561号 車両貸渡届 東横→神中(1939年12月25日〜翌年9月30日) 東辰第1054号 車両貸渡期間延長届 東横→神中 東辰第3498号 ガソリン客車譲渡届
キハ5
キハ6 東横→神中 東横寅第3456号 ガソリン客車譲渡届
キハ7 東横子第771号 車両竣功届 東横→神中 東辰第3498号 ガソリン客車譲渡届
キハ8 東横→五日市 時期不明 東横→五日市 東横卯第765号 ガソリン客車譲渡届
  • キハ2, 8 は五日市鉄道(現:JR 五日市線)への譲渡に先がけて頃に貸し渡しが行われていたようだが[18]、東京横浜電鉄の届出書類は現存しない。

モハ150形、サハ1形

鉄道省の譲受車は木造車体のため老朽化が激しく、より半鋼製化改造が行われることになりました。

最初に改造された4両は目黒蒲田電鉄から東京横浜電鉄へ譲渡されると同時に、東京横浜電鉄において半鋼製化&電装解除工事が行われてサハ1形となり、3両編成の中間車として使用されました。

の改造車は電動車のままモハ150形となりましたが、車体だけでなく電動機や制御装置も換装されています。

ところで東京横浜電鉄では石油規制によりキハ1形が満足に使用できない状況下にて、後述のモハ1000形10両の増備のみでは急増する輸送需要に追いつかないとして、2両編成の3両化を進めるためにサハ1形をさらに6両増備する計画が出されます[19]。しかし実際には使用停止となっていた6両[20]をモハ150形に改造する認可申請がに目黒蒲田電鉄から提出されました。両数と増備理由が東横サハ予定車と酷似していることから、東横、目黒の両社間で調整のうえ付随客車の予定を電動客車へ変更したと考えられます。

このモハ150形後期車は当初計画では制御装置の換装をせず鉄道省時代からの機器を使い続ける予定だったものが、竣功前に設計変更申請を行い、モハ1形と互いに交換する形で東洋電機製造の電動カム軸タイプに変更されています。それ以外にも車体寸法がなぜか前期車と若干異なっていたのを統一しています。このグループは日中戦争の影響によるものか認可申請から設計変更を経て竣功まで2年弱もの歳月が掛かっており、とくにモハ161 は竣功が遅れただけでなく、第二次世界大戦後まで T 車代用になっていたとのことで[21]、電機品の調達に問題があったことが覗えます。

これら半鋼製化に際して不要となった旧木造車体のうちいくつかは自由ヶ丘(現:自由が丘)に存在したトモエ学園に引き取られたものと推測されます[22]

車号 旧車号 改造 半鋼体化&電装解除
申請 認可 竣功
サハ1 モハ36(旧池上) 東横 東横子第81号 電動客車譲受並設計変更認可申請書 監1090号 東横子第665号 車両竣功届
サハ2 モハ37(旧池上)
サハ3 モハ38(旧池上)
サハ4 モハ39(旧池上)
車号 旧車号 改造 半鋼体化
申請 認可 設計変更申請 設計変更認可 竣功
モハ150 モハ21 目蒲 目電丑第1404号 電動客車設計変更認可申請書 監7926号 目電丑第1685号
モハ151 モハ25(旧モハ40形)
モハ152 モハ30(旧池上)
モハ154 モハ31(旧池上)
モハ155 モハ35(旧池上)
モハ156 モハ22 新東横 目電寅第1360号 電動客車改造認可申請ノ件 監246号 東辰第3713号 電動客車設計変更認可申請書 監3732号 東横電巳第59号 電動客車設計変更竣功届
モハ157 モハ23
モハ158 モハ24
モハ159 モハ32(旧池上)
モハ160 モハ33(旧池上)
モハ161 モハ34(旧池上) 時期不明
  • モハ161 の竣功時期は認可書類が残されおらず不明であるが、 東京横浜電鉄沿革史 pp.516–517 (国立国会図書館デジタルコレクション) 車輛一覧表(地方鉄道線)では時点でモハ150形の両数が11両とあるため、電機品の装備を除いた半鋼製車体への載せ替え自体はモハ156〜160 とそう変わらない時期に完成していたものと見られる。

モハ1000形

モハ510形以来の新製電車として東京横浜電鉄が10両、目黒蒲田電鉄が12両を発注した車両で、湘南電気鉄道(現:京浜急行電鉄の日ノ出町以南)との乗り入れ計画があったため 1,435mm への改軌を想定して長軸台車が採用されました。当初申請時の仕様はモハ510形に似たものでしたが、認可の翌年に設計変更申請を行い、台車や主電動機の歯車比、主制御器などが変更されました。

目黒蒲田電鉄が発注した12両は東京横浜電鉄線内で随時運転ができるよう、東横側から認可申請が出されたのですが、その認可は両社の合併後になりました(合併翌日に運転認可)。

竣功届は目黒蒲田電鉄が(旧)東京横浜電鉄と合併したと、(新)東京横浜電鉄へ商号変更を行ったとの狭間の時期に提出されたため、名義は目黒蒲田電鉄となっているものの、実質的には全車が(新)東京横浜電鉄の車両といえるでしょう。なお、現車は5月には在線しており、東横線にて営業運転に入っている様子も記録されています[23]

車号 発注 購入
申請 認可 設計変更申請 他社所属車運転申請 設計変更認可 他社所属車運転認可 竣功
モハ1001 東横 東横丑第1868号 電動客車設計認可申請書 監第3950号 東横卯第1397号 監第3299号 目電卯第1131号 車両設計変更竣功届
モハ1002
モハ1003
モハ1004
モハ1005
モハ1006
モハ1007
モハ1008
モハ1009
モハ1010
モハ1011 目蒲 目電丑第1362号 電動客車設計認可申請書 監第3951号 目電卯第435号 東横卯第1544号 他鉄道所属車両運転認可申請書 監第3297号 監第3296号
モハ1012
モハ1013
モハ1014
モハ1015
モハ1016
モハ1017
モハ1018
モハ1019
モハ1020
モハ1021
モハ1022

1940〜1941年度増備計画車(未製造)

(新)東京横浜電鉄が44両もの大量新製を計画しつつも実現しなかった車両で、自重 37.5t、定員 120人、75kW 主電動機といった仕様はモハ1000形と同一ですが、モハ1000形の増備扱いか、それとも新形式車を予定していたのかは不明です。

東横線ではモハ1000形10両の増備のみでは急増する輸送需要に追いつかないとして、1940(昭和15)年度に前述のサハ1形6両(実現せず)、1941(昭和16)年度に本増備車44両のうち10両を導入し、普通列車をすべて3両編成化する計画でした(急行列車は単行)。

一方、目蒲線、大井町線、池上線ではそれまで目蒲線のうち全線通し列車が2両編成、大井町線のうち大井町―大岡山間折り返し列車が小型車(モハ1形)2両編成であったほかはすべて単行運転であったものを、東横線用以外の34両のうち1940(昭和15)年度に18両、1941(昭和16)年度に16両を導入し、目蒲線の蒲田―下丸子間折り返し列車を除き各線とも2両編成化する計画でした。

これらはあくまで工事方法の中で言及されていたものに過ぎず、実際の車両製造の認可申請には至っていませんが、太平洋戦争前の車両計画として車両史研究の観点からは無視できない事象でしょう。

車号 計画 工事方法
申請 認可
未採番(電動客車44両) 新東横 東卯第3602号 工事方法書中事項一部変更の件 監第446号

脚注