概要

  • 認可、竣功などの日付は国立公文書館(www.archives.go.jp)および東京都公文書館(www.soumu.metro.tokyo.lg.jp)が所蔵する公文書を情報源とします。
    • 鉄道省運輸通信省運輸省:国立公文書館が所蔵(いわゆる鉄道省文書
    • 内務省建設省:国立公文書館が所蔵
    • 東京府:東京都公文書館が所蔵
  • 日本国有鉄道の発足以降は公文書が断片的にしか残されていないため、その年の年末である以前に認可申請や届出が行われた車両までを対象とします。ただし期間をまたいで増備が行われたデハ80形はその最終増備車の竣功までを対象としているほか、デワ3030形の無蓋車化改造はの申請であるものの例外的に含めています。
  • 竣功後の改造は車両称号の変更を伴うものに限ります。
  • 許認可書類の表題の旧字体は新字体に統一しています(車輛、車輌→車両など)。一方、表記揺れは原文のままとします(竣功と竣工など)。
  • 表中の鉄道事業者の名称は以下のとおり省略表記しています。
    • 新東横:東京横浜電鉄(旧・東京横浜電鉄と合併した目黒蒲田電鉄がその直後のに「東京横浜電鉄」へ商号変更して以降)
    • 東急:東京急行電鉄
    • 西武軌:西武軌道(後の都電杉並線、1963年廃止)
    • 箱根:箱根登山鉄道(現:小田急箱根)
    • 新京:新京交通(満洲国、現:长春有轨电车

狭軌時代の車両

玉川電気鉄道はの開通からまでの13年間、1,067mmの狭軌で営業が行われていました。当初は電動客車5両でスタートし、徐々に増備が行われて最終的には以下の陣営となったことが営業報告書と統計資料から判明しています。

  • 電動客車: 15両
  • 付随客車: 7両
  • 付随貨車: 20両
  • 電動客車の予備電機品: 2両分

このうち許認可書類は付随客車の分のみ残されているのですが、電動客車の一部も営業報告書の記述により日付のみ判明している部分があります。

車号 前所有 構造/譲受 定員
申請 認可 検査願提出 検査証交付 申請 認可(警視総監)
電動客車 車号不明5両 時期不明 時期不明 時期不明
電動客車 車号不明5両 時期不明 時期不明 時期不明
付随貨車 車号不明10両 時期不明 時期不明 時期不明 時期不明
付随貨車 車号不明10両 時期不明 時期不明 時期不明 時期不明
電動客車 車号不明2両 時期不明 時期不明 時期不明
付随客車1 西武軌 時期不明 丑土甲第1589号 時期不明 玉第80号 付随客車検査願 資料:東京府 資料:東京府
付随客車2
付随客車3
付随客車4
電動客車 車号不明3両 時期不明 時期不明 時期不明 時期不明
付随客車5 玉第686号 辰土甲第627号 資料:東京府 玉第668号-3 付随客車御検査願 資料:東京府 資料:東京府 玉第668号-2 付随客車乗客定員認可申請書 資料:東京府 第459号-2 資料:東京府
付随客車6
付随客車7

このように狭軌時代の車両は許認可書類が一部しか残されていないためその全容は謎に包まれており、車両番号すら明確には分かっていません。統計資料や営業報告書などにより解明を試みた結果を書籍「公文書と統計資料でたどる玉川電気鉄道狭軌時代の車両」にまとめているので、興味ある方はそちらもご覧ください。

玉川/東横電動客車 1~15

玉川電気鉄道は東京市電の貨車乗り入れのために軌間 1,067mm から 1,372mm への改軌が行われ、旅客車両は総取り替えとなりました。

最初に用意された15両は4輪単車で、定員は狭軌時代の電動車と同じ40人。従来は電動車、付随車あわせて22両だったものが電動車のみ15両となったため、改軌に前後して複線化工事が進む中、同年末にボギー車が増備されるまでの間は一時的に輸送力は低下していたことになります。

車体側面は鉄道馬車の名残とも言われる裾絞りがなくなった垂直タイプで、出入口はオープンデッキながら正面窓が付いています。

改軌を目前に控えたに構造認可を受けますが、アメリカ・J.G. Brill 社に発注していた手ブレーキ装置が届かないため12両分(車号は不明)は仮に国内品を取り付けることとし、力率が減少するため仮使用許可を申請、に落成しています。

後述のボギー車群と車齢はそう変わらないものの、4輪単車であることが災いしてか早期に処分されており、7~15号車は玉川電気鉄道時代に廃車となりました。1~6号車は東京横浜電鉄への合併を経て渋谷以東の天現寺橋、中目黒方面で活躍したものの[文献1]の路線分断により不要となり、一部は砧線で活躍したようですが[文献2]までに姿を消しました。最後まで残った2両は満洲国で当時開業したばかりの新京交通(現:长春有轨电车に供出されています。

車号 構造 仮使用 廃車/譲渡
申請 認可 検査願提出 申請 期間延期願 認可 落成 届出
電動客車1 玉発第47号 車両構造認可願 資料:東京府 申土甲第1885号 資料:東京府 玉第68号 車両御検査願 資料:東京府 15両中12両、10月31日まで 仮使用願 資料:東京府 15両中12両、12月31日まで ハンドブレーキ仮使用期間延期願 資料:東京府 申土甲第5243号 資料:東京府 ハンドブレーキ落成届 資料:東京府 東辰第1950号 四輪電動客車廃車届 資料:鉄道省
電動客車2
電動客車3 新東横→新京 東横電巳第182号 電動客車並電動貨車譲渡届 資料:鉄道省
電動客車4
電動客車5 東辰第1950号 四輪電動客車廃車届 資料:鉄道省
電動客車6
電動客車7 玉第82号 廃車届 資料:鉄道省
電動客車8
電動客車9 玉丑第37号 廃車届 資料:鉄道省
電動客車10
電動客車11
電動客車12
電動客車13
電動客車14
電動客車15

玉川/東横電動貨車 1~5

狭軌時代は電動客車が付随貨車を牽いていましたが、改軌に際しては有蓋電動貨車が製造されました。中央の荷物室は屋根付きの有蓋車で、車体サイズは目黒蒲田電鉄と東京横浜電鉄のデワ1形より一回り小型で、主電動機容量も 50㏋×2台 と小出力であり(それでも電動客車の1~15号車よりは大きい)、積載状態の付随貨車は1両のみ牽引することが想定されていました。

全車両が東京急行電鉄の成立前に用途廃止となり、電動客車の3~4号車とともに満洲国の新京交通(現:长春有轨电车への供出のため譲渡届が提出されています。しかし5両のうち3両は実際には譲渡されなかったか、あるいは台車だけの譲渡だったようで、の時点で車体のみが西武大宮線の川越久保町駅跡地に運ばれていたことが目撃されています[文献3]

車号 構造 譲渡
申請 認可 検査願提出 届出
電動貨車1 玉発第47号 車両構造認可願 資料:東京府 申土甲第1885号 資料:東京府 玉第88号 車両御検査願 資料:鉄道省、内務省 新東横→新京 東横電巳第182号 電動客車並電動貨車譲渡届 資料:鉄道省
電動貨車2 玉第68号 車両御検査願 資料:東京府
電動貨車3
電動貨車4 時期不明
電動貨車5 玉第68号 車両御検査願 資料:東京府
  • 4号車の検査願は残されていないが、玉川電気鉄道の営業報告書には第36期(~翌年5月)の間に検査が行われたとある。

玉川/東横付随貨車 1~20 → 東急ト1形

改軌に際して電動客車、電動貨車とともに車両構造認可が行われた 10t 積み無蓋貨車で、認可申請書では現用車輌ヲ廢止シ(中略)新車輌ヲ使用と書かれているものの、改軌前後で車両数が変わらないこと、改軌後の車両は車体、台車とも玉川電気鉄道自身が製造したことになっていること、現車の写真を比較しても角形バッファーなどの特徴が改軌前後で同一であることから、実際は狭軌時代の貨車を自社工場で改造したものと思われます。なお申請時に車両数が25両とされているのですが、統計資料によれば20両(狭軌時代と同じ数)しか竣功しておらず、残り5両が書類上どのように処理されたのかは不明です。

一部の車両は散水車に改造されたようで、に撮影された写真が残されていますが[文献4]、この改造に伴う許認可書類は確認されておらず、営業報告書での言及もありません。後述するように散水電動車を発注したものの、何らかの理由で付随貨車で代替することになり、その経緯から公式の文書には改造記録が残らなかったのではないかと思われます。

7両は玉川電気鉄道時代に廃車され、その後東京横浜電鉄への合併を経て東京急行電鉄成立の直後に一部の車両が2度目の改軌を行い品川営業局(現:京浜急行電鉄)へ転局しました。この転局に伴う改造は8両での認可申請が行われていますが、実際は6両のみが転局し、残る7両が戦後まで玉川線に在籍していました。

車号 構造 廃車 改番(新東横→東急) 改軌 備考
申請 認可 検査願提出 届出 届出 申請 認可
付随貨車1 玉発第47号 車両構造認可願 資料:東京府 申土甲第1885号 資料:東京府 玉第68号 車両御検査願 資料:東京府 玉丑第879号 廃車届 資料:鉄道省
付随貨車2
付随貨車3
付随貨車4
付随貨車5
付随貨車6 時期不明
付随貨車7 車両御検査願 資料:内務省
付随貨車8→ト1 時期不明 企電午第153号 客貨車形式称号、記号番号変更届 資料:東京府
付随貨車9→ト2 時期不明
付随貨車10→ト3 時期不明
付随貨車11→ト4 車両御検査願 資料:内務省
付随貨車12→ト5 時期不明
付随貨車13→ト6 時期不明 品川営業局へ転局 企電午第321号 貨車設計変更認可申請書 資料:鉄道省 監第1952号 資料:鉄道省
付随貨車14→ト7 時期不明
付随貨車15→ト8 車両御検査願 資料:内務省
付随貨車16→ト9 時期不明
付随貨車17→ト10 時期不明
付随貨車18→ト11 時期不明
付随貨車19→ト12→ト6 時期不明 実際には転局せず
付随貨車20→ト13→ト7 時期不明
未製造
未製造
未製造
未製造
未製造
  • 検査願は8両分しか残されていないが、玉川電気鉄道の営業報告書によると第35期(~11月)に12両、第36期(~翌年5月)に3両の検査が行われ、第38期(~翌年5月)に残る5両が竣功したとある。なお第38期の検査願提出日は
  • の東京急行電鉄成立に伴う改番時における新旧車号対照は不明であり、上表は若い順に変更されたと仮定している。品川線転局を取り止めになった2両が実際に2回の改番を行った確証はなく、旧ト6~ト13 の車号は書類上のものに過ぎなかった可能性もある。

玉川/東横電動客車 16~30 → 東急デハ1形

改軌にやや遅れて製造されたボギー車で、4輪単車(1~15号車)と比較すると定員は40人から70人へ、車体長(バンパー末端まで)は 8,181mm から 11,734mm へと大型化しています。

最初に製造された16~21号車は出入口が初めてドア付きとなったのですが、増備車である22号車以降はオープンデッキに戻り、車体長さも若干短くなっています。また25号車以降は窓配置が変更されるなどの軽微な変化があります。

東京急行電鉄の成立に際しては4輪単車が全廃されていたため、このグループを1号車からの付番に変更してデハ1形を名乗り、後に車体更新で全車がデハ80形に統合されました。

車号 構造 改番(新東横→東急) 備考
申請 認可 検査願提出/竣功 届出
電動客車16→デハ1 玉第73号 車両構造認可願 資料:鉄道省、内務省 申土甲第4800号 資料:鉄道省、内務省 車両御検査願 資料:鉄道省、内務省 企電午第153号 客貨車形式称号、記号番号変更届 資料:東京府 以降デハ80形
電動客車17→デハ2
電動客車18→デハ3
電動客車19→デハ4 玉第88号 車両御検査願 資料:鉄道省、内務省
電動客車20→デハ5
電動客車21→デハ6
電動客車22→デハ7 玉第101号 車両構造認可願 資料:鉄道省、内務省、東京府 戌土甲第2314号 資料:鉄道省、内務省、東京府 玉第144号 車両御検査願 資料:鉄道省、内務省、東京府
電動客車23→デハ8
電動客車24→デハ9
電動客車25→デハ10 玉第157号 増設車両構造認可願 資料:鉄道省、内務省、東京府 戌土甲第2314号→夫土甲第2314号 資料:鉄道省、内務省、東京府 玉第29号 車両御検査願 資料:鉄道省、内務省
電動客車26→デハ11 玉第68号 車両御検査願 資料:鉄道省、内務省、東京府
電動客車27→デハ12
電動客車28→デハ13 玉第109号 増設車両構造認可願 資料:鉄道省、内務省、東京府 亥土第9072号 資料:鉄道省、内務省、東京府 玉第91号 増設車両竣工届 資料:鉄道省、内務省
電動客車29→デハ14
電動客車30→デハ15
  • 25~27号車の認可は22~24号車と同一番号の「戌土甲第2314号」で行われたが、検査願の文書では「夫土甲第2314号」となっており、以降玉川電気鉄道が提出する文書(の車体延長工事など)はすべて後者の扱いとなっている。途中で文書記号が変わること、冒頭の漢字に十二支でないものが採用されることのいずれの点においても異例である。上表では「戌土甲」から「夫土甲」へ変更されたかのような表現をしたが、東京府が正式に変更を認めた証拠はなく、電鉄側が誤表記をしたものが以後社内で続いてしまっただけの可能性も考えられる。
  • 軌道条例時代の27号車までは竣功に際して検査願を提出し、東京府より検査証の交付を受けているが、軌道法となった28号車以降は竣功届に変わっている。

玉川散水電動車(未製造)

関東大震災の翌年、玉川電気鉄道の「第43期 営業報告書」(~11月)には散水電動車を1両注文したことが記載されています。附随貨車ヲ牽引シ得ルとあるため、電動貨車と同じく連結器を装備したであろうほかは諸元などまったく不明で、実際に導入された形跡もありません。

玉川/東横電動客車 31~35

出入口が両端2つのオープンデッキタイプですが、16~30号車と比べて車体長さが延長され、定員も70人→90人へ増加しています。ただし車長の変化の割に定員の増加率が大きいこと、車端部に空間を作ったため座席長はむしろ短縮されたにも関わらず座席定員も増加していることから、定員の考え方が変わったのかもしれません。

なによりの変化はそれまで輸入に頼っていた台車が国産品となり、さらに車輪径を小型化した低床車となったことで、それまでデッキと客室間には段差があったものが、本グループではフラットな構造となっています。また空気ブレーキが付いたのもこのグループからです。

東京横浜電鉄への合併直後に30号車以前に先がけて半鋼体化改造が行われ、71~75号車に改番されました。旧車体のうち2両分は江ノ島電気鉄道(現:江ノ島電鉄)へ譲渡されています[文献5]。またそれ以外の3両分は満洲国に渡ったと言われており、には2両が新京交通(現:长春有轨电车への譲渡のため船送されたことが記録されているのですが[文献6]、これは前述の電動客車3~4号電動貨車1〜5号の廃車より早い時期のため、このグループのことではないかと思われます。

車号 構造 備考
申請 認可 竣功
電動客車31 玉第139号 車両構造認可願 資料:鉄道省、内務省 監第11号 資料:鉄道省、内務省 玉第17号 車両竣工届 資料:鉄道省、内務省 以降電動客車 71~75
電動客車32
電動客車33
電動客車34
電動客車35
  • 車両構造の認可日(監第11号)は、認可書類そのものにはと書かれているが、後の資料(竣功届やその後の改造時の申請書類)ではとされている。

玉川/東横電動客車 36~45 → 東急デハ20形

31~35号車と似ていますが、中間ドアを設けて出入口が3つとなりました(両端はオープンデッキ)。座席定員が削減された一方で立席分が調整され、全体の定員は90人で変化ありません。また台車も基本構造は変わらないものの軸距が延長されています。

東京急行電鉄の成立でデハ20形に改番された後、3両が箱根登山鉄道(現:小田急箱根)の小田原市内線に譲渡、残りは車体更新でデハ80形に統合されました。

車号 構造 改番(新東横→東急) 譲渡 備考
申請 認可 竣功 届出 届出
電動客車36→デハ20 玉第35号 車両構造認可願 資料:鉄道省、内務省、東京府 監第1508号 資料:鉄道省、内務省、東京府 玉第57号 車両竣工届 資料:鉄道省、内務省、東京府 企電午第153号 客貨車形式称号、記号番号変更届 資料:東京府 以降デハ80形
電動客車37→デハ21
電動客車38→デハ22
電動客車39→デハ23
電動客車40→デハ24
電動客車41→デハ25 東急→箱根 技発戌第40号 車両譲渡届 資料:運輸省
電動客車42→デハ26
電動客車43→デハ27
電動客車44→デハ28 以降デハ80形
電動客車45→デハ29

玉川/東横電動客車 46~55 → 東急デハ30形

それまでの木製車体から半鋼製車体となり、屋根はモニターデッキ(Clerestory 型)から段差のないプレーンアーチ型へ、両端の出入口はドア付きとなった一方で、車輪径が元に戻ってふたたび客室が一段高くなり、中間ドアはなくなるなど、部位によって進化と退化が混在したようなグループです。

車号 構造 改番(新東横→東急)
申請 認可 竣功 届出
電動客車46→デハ30 玉第93号 車両構造認可願 資料:鉄道省、内務省 監第737号 資料:鉄道省、内務省 玉第50号 車両竣工届 資料:鉄道省、内務省 企電午第153号 客貨車形式称号、記号番号変更届 資料:東京府
電動客車47→デハ31
電動客車48→デハ32
電動客車49→デハ33
電動客車50→デハ34
電動客車51→デハ35
電動客車52→デハ36
電動客車53→デハ37
電動客車54→デハ38
電動客車55→デハ39

玉川/東横電動客車 56~66 → 東急デハ40形

46~55号車に中間ドアを付けたほかは殆ど同様の構造です。中間ドアは36~45号車のものとは異なり、階段が折り畳み可能な外付け式で、車掌や駅員が外部より開閉操作を行うものとされました。

玉川電気鉄道の新線建設はの玉川(現:二子玉川)―溝ノ口(現:溝の口)間をもって終了しており、車両増備は次のデハ70形まで15年ほど停止、むしろの渋谷以東の天現寺橋、中目黒方面の分断などによる4輪単車や貨車の一部廃車により車両数は微減しています。

車号 購入 改番(新東横→東急)
申請/届出 認可 竣功 届出
電動客車56→デハ41 玉第6号 車両設計認可申請 資料:鉄道省、東京府 監第2348号 資料:鉄道省、東京府 時期不明 企電午第153号 客貨車形式称号、記号番号変更届 資料:東京府
電動客車57→デハ42
電動客車58→デハ43
電動客車59→デハ44
電動客車60→デハ45
電動客車61→デハ46
電動客車62→デハ47 玉第53号 電動客車増備届 資料:鉄道省、内務省
電動客車63→デハ48
電動客車64→デハ49
電動客車65→デハ50
電動客車66→デハ51
  • 56~61号車の竣功届は残されていないが、玉川電気鉄道の「第51期 営業報告書」にはに完成とある。ここでいう完成は竣功届の提出日と同義と見なせる。

東横電動客車 31~35 → 71~75 → 東急デハ60形

玉川電気鉄道が東京横浜電鉄へ合併された直後、30号車以前に先がけて31~35号車の半鋼体化改造が行われたのですが、改造車であることを区別するため車号も70番台に変更されました(書類上は改造竣功の翌日に改番)。

車体の載せ替えにより 13m 級の3ドア構成となり、大きな側窓は高さも 950mm に拡大されて鉄道線モハ1000形との共通性も感じます。なお、この車体サイズ拡大に際しては一部の曲線区間において軌道中心間隔を拡大する工事が行われています[文献7]

車号 設計変更(半鋼体化) 改番(新東横→東急)
申請 認可 竣功 改番届出 届出
電動客車31→電動客車71→デハ61 東横寅第3836号 車両設計変更認可申請書 資料:鉄道省、内務省 監第4079号 資料:鉄道省、内務省 東辰第17号 車両設計変更竣功届 資料:鉄道省 東辰第75号 車両番号変更届 資料:鉄道省 企電午第153号 客貨車形式称号、記号番号変更届 資料:東京府
電動客車32→電動客車72→デハ62
電動客車33→電動客車73→デハ63
電動客車34→電動客車74→デハ64
電動客車35→電動客車75→デハ65

東急デハ70形

前述のとおりに4輪電動客車2両と電動貨車5両が満洲国の新京交通(現:长春有轨电车へ供出されたのですが、その代替として新造車両が3両増備されることになりました(同年8月19日に鉄道省より通牒)。当時は(新)東京横浜電鉄の時代で木造車を半鋼体化した71~75号車が最大番号で存在しており、新造車両は81~83号車となる予定だったのですが[文献8]、購入認可と竣功は東京急行電鉄の成立後となり、実際の車号は70番台とされました。

当初は(旧)71~75号車と同じ仕様での購入認可申請が行われたのですが、認可後に主電動機を 37.3kW → 50kW に増大する設計変更が行われ、その影響で台車の固定軸距と車輪径をそれぞれ 100mm 拡大したため高床車となっています。また予定番号 81, 82 の2両は当時 56, 72号車で試験が行われていた総括制御器(MMC-50 型)を取り付けることとされました。書類上はこの時点では連結器を設置せず、に取り付けたことになっているのですが[文献9]、入線直後と思われるデハ71 の写真[文献10]を見るに、少なくとも片側は完成時から並形の自動連結器を備えていたようです。

一方、工事方法書では別途7両の増備認可を申請していたものの、第二次世界大戦の影響もあってか当初は5両分しか認可が下りず、になって残り2両分も認可されたものの設計認可申請には至らず、その結果8両で打ち止めとなりました。増備認可が下りた5両のうち、設計認可申請にてデハ74~75 は直接制御、デハ76~78 は総括制御(MMC-50 型)とされたものの、前者は完成が終戦後にずれ込み、書類上は他の6両を改めて総括制御対応に設計変更する工事の竣功に合わせてに竣功届が提出されています。もっとも実際にはに完成していたようで[文献11]、東急側でもその時期の入籍となっています。

車号 工事方法 購入
申請 認可 申請 認可 設計変更申請 設計変更認可 竣功
デハ71 東横電巳第198号 電動客車購入認可申請書 資料:鉄道省、内務省 監第1745号 資料:鉄道省、内務省 企電午第129号 電動客車設計変更認可申請書 資料:鉄道省 監第309号 資料:鉄道省 企電未第136号
デハ72
デハ73
デハ74 東辰第1011号 工事方法書一部変更認可申請書 資料:鉄道省、内務省 監第1764号 資料:鉄道省、内務省 企電未第315号 電動客車設計認可申請書 資料:鉄道省、内務省 鐵業監第591号 資料:運輸通信省 車亥発第97号 車両設計変更認可申請書 資料:運輸省、内務省 陸業第382号 資料:運輸省 東急車丑発第19号 車両竣功届提出について 資料:運輸省
デハ75
デハ76 企電申第354号
デハ77
デハ78
未製造 監第2084号 資料:鉄道省、内務省
未製造

東急デワ3030形 → デト3030形

電動貨車 1~5 が供出されたため、玉川線には付随貨車を牽引できる車両がなくなっていたのですが、品川営業局(現:京浜急行電鉄)で余剰となっていた電動貨車デワ5010形1両が転局することになり、軌間改造(1,435mm → 1,372mm)のほか、付随貨車に合わせて新たにねじ式連結器を追加(バッファーはもともと装備)、またパンタグラフはトロリーポールへの変更が実施されています。この際、車両番号はなぜか鉄道線用の3000番台が付与されました。

一度取り止めた貨車の使用を再開した理由は、認可申請書の記述によれば、軌道保守にはトラックを使用していたもののそれが不可能になってきたためとされており、日中戦争を発端とした石油規制の影響が覗えます。(旧)京浜電気鉄道でも同様の理由でやはり鉄道車両による保守作業に迫られたのですが[文献12]、入れ替わるように無蓋貨車6両を転局させていますから、電動貨車に余剰があった京浜線と、逆に付随貨車のみが残っていた玉川線とが同一会社になったことでうまく車両を融通し合えた(改軌工事をしてでも融通せねばならない状況にあった)ということでしょう。

ところで玉川線ではあくまで軌道保守や社用品輸送の用途であり大規模な砂利輸送は取り止めていたため、付随貨車を連結しての運転は効率的ではなく、戦後になって電動貨車自体に運搬物を積載できるよう車体を無蓋タイプに載せ替える改造が行われ、車両記号もデワからデトへ変更されました。

車号 旧車号 設計変更(転局&改軌) 設計変更(無蓋車化)
申請 認可 竣功 申請 認可 竣功
デワ3031→デト3031 デワ5013 企電午第320号 電動貨車設計変更認可申請書 資料:鉄道省、内務省 監第2025号 資料:鉄道省、内務省 時期不明 東急車発25第49号 車両設計変更認可申請書 資料:運輸省、建設省 鉄監第529号 資料:運輸省、建設省 東急車発26第24号 車両竣功届 資料:運輸省

東急デハ80形

戦後の本格的な車両増備は、前述のデハ74~75 の例外を除けばデハ80形より始まります。これは1949(昭和24)年度の増備認可を受けたもので、その認可書類は残されておらず詳細は不明ながら8両での認可申請が行われ、そのうち6両が認可されたもののようです[文献13]。主電動機は 74.6kW(100馬力)で後のデハ150形より大きく歴代最強を誇り、新製当時からビューゲルを装備、正面上部の両脇には緑ランプの方向指示灯(三軒茶屋の分岐で使用)が付きました。中央ドアはデハ40形のような階段外付け式ですが、閉扉時はステップが台枠下部に収納される方式となっています。

一方、木製車のデハ20 はに漏電のため車体を全焼しており、復旧に際しデハ81~86 と同じ車体に載せ替えて80形に編入されました。この際、連結運転のために主電動機容量を増大させる必要がありデハ46 と台車を振り替えたため、デハ20 の面影はほとんど残っていません。主電動機は当初 48.5kW を搭載していたのですが、2年ほどで新造車と同じ 74.6kW に変更されています。

その後、木製車体で残っていたデハ1形、デハ20形の半鋼体化改造が実施されるに際し、同様にデハ80形の車体への載せ替えと形式編入が行われました。主電動機は 48.5kW を搭載し、このうちデハ20形の更新(デハ103~108)に関しては台車をデハ30形、デハ40形と交換していたため、デハ80形の台車は国産新製台車(固定軸距 1,380mm)、国産流用台車(固定軸距 1,422mm)、Brill 76-E 流用台車(固定軸距 1,473mm)の3種類となりました。このほか車内照明に交流蛍光灯が採用され、電動発電機を搭載したことも特筆されます。

車号 旧車号 増備 購入/設計変更(半鋼体化)
書類上の種車 台車 申請 認可 申請/届出 認可 竣功
デハ81 時期不明 東急車丑発第47号 車両設計認可申請書 資料:運輸省、建設省 鉄監第40号 資料:運輸省、建設省 東急車発25第7号 車両竣功届 資料:運輸省
デハ82
デハ83
デハ84
デハ85
デハ86
未製造
未製造
デハ87 デハ20 デハ46 東急車発25第13号 車両設計変更認可申請書 資料:運輸省 鉄監第1553号 資料:運輸省 東急車発25第41号 車両竣功届 資料:運輸省
デハ88 デハ6 東急車発27第48号 車両設計変更認可申請書 資料:運輸省、建設省 鉄監第1327号 資料:運輸省、建設省 東急車発27第31号 車両竣功届 資料:建設省
デハ89 デハ4
デハ90 デハ8
デハ91 デハ9
デハ92 デハ10
デハ93 デハ12 東急車発28第32号
デハ94 デハ13
デハ95 デハ11
デハ96 デハ3
デハ97 デハ2
デハ98 デハ14
デハ99 デハ7
デハ100 デハ1
デハ101 デハ5
デハ102 デハ15
デハ103 デハ28 デハ47 東急車発28第53号 車両設計変更認可申請書 資料:運輸省、建設省 鉄監第1213号 資料:運輸省、建設省 東急車発29第9号 車両竣功届 資料:建設省
デハ104 デハ29 デハ49
デハ105 デハ22 デハ50
デハ106 デハ21 デハ51
デハ107 デハ23 デハ30
デハ108 デハ24 デハ48
  • デハ81~86 の増備認可に関する書類そのものは残されていないが、同車の竣功届(国立公文書館デジタルアーカイブ)内の記述により認可日のみ判明している。
  • デハ93~102 の届出書類そのものは残されていないが、客室照明の蛍光灯化に伴う設計変更の認可申請書類(国立公文書館デジタルアーカイブ)に添付の車両竣功図表内の記述により届出日は判明している。
  • デハ93~102 の旧車号との対照は車両竣功図表内に記載の新旧対照表による。

参考文献