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池上電気鉄道 車歴表

更新

池上電気鉄道の開通(1922年)から目黒蒲田電鉄への合併(1934年)までの車両のうごきをまとめました。

  1. 概要
  2. 乙号車
  3. 丙号車
  4. 甲号車
  5. デハ20形
  6. デト1形(無入籍)
  7. デハ100形、デハ200形

概要

  • 認可、竣功などの日付は国立公文書館(www.archives.go.jp) が所蔵する公文書(鉄道省文書)を情報源とします。
  • 竣功後の改造は車両称号の変更を伴うものに限ります。
  • 表中の鉄道事業者の名称は以下のとおり省略表記しています。
    • 駿遠:駿遠電気(現:静岡鉄道)
    • 静岡:静岡電気鉄道(現:静岡鉄道)
    • 伯陽:伯陽電鉄(後の日ノ丸自動車、1967年廃止)

乙号車

池上電気鉄道がの池上―蒲田間の開通に際し導入した車両で、定説では駿遠電気(現:静岡鉄道)20形の譲受車とされていますが、認可書類には駿遠電気の名前は出てきません(車両竣功図表に前歴の記載があります)。

開通前後の車両準備には紆余曲折があったことは周知の事実ですが、本車は次に挙げるとおり竣功までには複数回のやりとりを要しています。まず車両導入の認可申請を提出した2週間後のの「追申書」では、本来は認可後に(新車を?)購入すべきところ、路線の開業に間に合わないとして、急ぎ既成品(譲受車?)を使用するため幅員規定に合致しないことから3か月以内の改造を行うとして、監督局からはまでの仮使用という形で認可を得ています。

次に仮使用期限が過ぎたの「追願書」では、各工場に改造の交渉を行ったものの受け入れられず、畠中工場にて引き受けられたものの未だ竣功に至っていないとして、3月10日までの仮使用期間延期を申請しています。

そしてに竣功届を提出したものの、監督局からは設計変更になるため認可申請を要するとして、この竣功届を申請書扱いと見なすと回答があり、改めて4月4日に竣功届を提出しています。

その後、には2両とも伯陽電鉄(後の日ノ丸自動車、1967年廃止)に貸渡が行われ、翌年には譲渡となったため、目黒蒲田電鉄への合併前に姿を消しました。

車号 前所有 購入 貸渡 譲渡
申請 仮使用 仮使用認可 仮使用期限延長申請 仮使用期限延長認可 竣功届提出→設計変更申請 設計変更認可 竣功 届出 届出
デハ1 駿遠22, 24 車両工事施行認可申請書 追申書 仮使用(1923年1月1日まで) 監第2024号 池第5号 追願書 仮使用(1923年3月10日まで) 監第365号 客車々両改造竣工届出之件 監第627号 客車々両改造竣功届之件 池上→伯陽(1931年4月1日まで) 池発第39号 車両貸渡届 池上→伯陽 池発第229号 車両譲渡ノ件
デハ2

丙号車

予定していた甲号車が電気機器の輸入延期のため完成しないことから、乙号車と同じく静岡電気鉄道(現:静岡鉄道)から譲受した車両とされていますが、やはり認可書類には前歴の記載はなく、また旧車号も不明です。

40人乗りの4輪単車でオープンデッキの路面電車タイプであり、車両竣功図表では側面窓は8枚ですが、現車は末期には9枚となっている写真が残されており[1]、このあたりも謎が残ります。

認可申請書類には本電車ハ甲號電車完成(大正一二年七月迠)ノ後ハ予備車トナスモノナリとの記述があり、急場凌ぎの導入であったことが覗えます。認可から竣功届の提出までになぜか3年以上もの期間が経っており、甲号車より後のに竣功したことになっていますが、譲受動機からすると甲号車の完成後まで本車の導入を待ったとは考えにくいところです。池上電気鉄道の路線はに雪ヶ谷まで延伸をしていますから、実際はそのあたりで使用開始したのではないでしょうか。

いずれにせよには早々に休車となり、目黒蒲田電鉄への合併前に廃車されました。

車号 前所有 購入 休車 廃車
申請 認可 竣功 届出 届出
デハ11 静岡 池第27号 車両工事施行認可申請書 監第854号 客車々両竣功届 池発第240号 休車御届 池発第267号 電動客車廃止届
デハ12

甲号車

前述のとおり、池上電気鉄道の開通当初は乙号車のみで運転を開始し、雪ヶ谷延伸のあたりに丙号車を増備していますが、その後にようやく甲号車の購入認可申請が提出されます。しかしどういうわけかデハ3〜4 よりも先にデハ5〜6 の方が先に手続きが行われました。甲号車は新造車でありながら電機品は中古品を使用しており[2]、そのことが納期に影響したのかもしれませんが、はっきりした理由は分かっていません。

車両竣功図表によると車体は4両ともに完成しており、池上―蒲田間の開通直前(?)に池上車庫の奥に2両の車体が置かれている写真(絵はがき)が残されていますから[3]、車体だけは早期に搬入されていたことが分かります。

また、開通前の時点の工事計画では甲号車は計6両が導入される予定で[4]、これはに丙号車を追加することになって以降も変わらず、すなわち甲・乙・丙あわせて10両の陣営になる計画でしたが[5]、実際は4両の製造に留まっています。

車号 購入 備考
申請 認可 竣功 竣功(再提出)
デハ3 池第84号 車両工事施行認可申請書 監第533号 池第111号 電動客車竣功之件 目蒲合併後モハ15形
デハ4
デハ5 車両工事施行認可申請書 監第58号 池第129号 電動客車竣功届出之件 池第120号 電動客車竣功届
デハ6
  • デハ5〜6 はに竣功届を提出したものの、監督局からの照会事項に際し、再三の催促にも関わらずなぜか回答を行わず、翌年のデハ3〜4 の竣功届に対する照会に反応する形で(行き違いによる不達があったとして)再度竣功届が提出されている。そのため書類上の面だけ見れば、結果的に車番どおりデハ3〜4 の方が先に竣功したことになる。

デハ20形

近隣の目黒蒲田電鉄にやや遅れて、池上電気鉄道でも鉄道省の木造ボギー電車を導入することになり、まずは1両を、その後中に9両が払い下げられました。

これらの種車はいずれもデハ6310形で、の山手線 1200V 昇圧ののち使用停止となり、付随車化が予定されていたグループの一部を購入したものです[6]

車号 前所有 譲受 備考
申請 認可 竣功
デハ20 鉄道省デハ6310 車両払下使用願 監第351号 電動客車竣功届ノ件 目蒲合併後モハ30形
デハ21 鉄道省デハ6311–6317, 6320, 6321 池電第21-22号 車両使用認可申請 監第2013号 電動客車改造竣工御届
デハ22
デハ23
デハ24
デハ25
デハ26 電動客車改造竣功御届
デハ27
デハ28
デハ29
  • 竣功届に池上の車号が記載されておらず、3回に分けて行われた竣功と車号の対照は特定できない。上表は若い順に付番されたと仮定している。

デト1形(無入籍)

池上電気鉄道ではもともと小規模な貨物輸送の計画があり、開通前の時点の工事計画では電動貨車(有蓋車)1両、付随貨車5両の製造が予定されていました[7]

路線が五反田まで全通した頃に電動貨車の製造が行われていますが(もともと有蓋車の予定だったものが実際は無蓋車に変更)、購入認可ののち、主電動機電圧と歯車比を変更する設計変更の認可申請を行って以降、竣功届が提出されず、には監督局より既ニ竣功セシモノト認メラレ候處未タ竣功届提出無として至急手続きを行うよう通牒があったものの、池上側は未竣功ニ有と回答し、以後やりとりは途絶えてしまいます。

結局この車両は無車籍の状態だったようで、付随貨車が製造されず貨物列車が運行されなかったことからしてもせいぜい社用品輸送程度の使用であったものと思われます。

車号 購入 備考
申請 認可 設計変更申請 設計変更認可 通牒(竣功届提出催促) 回答 竣功
デト1 車両工事施行認可申請書 監第584号 池発第185号 電動貨車設計変更認可申請書 監第1890号 監鉄第8912号 池発第279号 御通牒に対する回答 届出なし 目蒲合併後デト1形(無車籍)
  • 認可書類には形式、車号の記載はないが、車両竣功図表[8]にデト1形のデト1号とある。

デハ100形、デハ200形

の五反田全通を控えて8両の認可申請が行われましたが、デハ100形5両が製造されたのち、2年後に未竣功の残り3両に対して正面貫通扉の廃止と室内灯の増設の設計変更が行われ、デハ200形として別形式を名乗りました[9]

車号 購入 備考
申請 認可 竣功
デハ101 池発第92号 車両設計認可申請書 監第1454号 池発第194号 電動客車竣功御届 目蒲合併後モハ120形
デハ102
デハ103 池発第334号 電動客車竣功御届
デハ104
デハ105
車号 購入 備考
申請 認可 設計変更届出
デハ201 池発第92号 車両設計認可申請書 監第1454号 池発第112号 車両設計変更御届 目蒲合併後モハ130形
デハ202
デハ203

脚注