概要

  • 認可、竣功などの日付は国立公文書館(www.archives.go.jp) が所蔵する公文書(鉄道省文書)を情報源とします。
  • 竣功後の改造は車両称号の変更を伴うものに限ります。
  • 電動貨車は前半に「デワ」→「モワ」、「デト」→「モト」への記号変更が行われたものと推定されます。旅客車は「デハ」→「モハ」への変更が行われていますが、電動貨車はその時期に動きがなく、書類上で記号変更が最初に確認できるのはとなりますが、旅客車と同じ時期に記号変更が行われたものと判断して取り扱います。
    • デト4形を例に取ると、の時点ではデト四號とあるのに対し[1]にはモト第四號形式[2]となっています。
    • 電気機関車であるデキ1形は記号変更後に製造されていますが、本車両のみ「デ」が使用されており、時点での所属車両一覧でも「モハ」「モワ」「モト」に混じって「デキ」のままであることが確認できます[3]
    • 目黒蒲田電鉄所属の電動貨車はに記号変更の届出が提出されていますが、それ以前にすでに現車表記が「モワ」「モト」とされている写真が残されているため[4]、実際は東京横浜電鉄所属車と同じ時期に改称されたものと判断します。目蒲の電動貨車は以降、申請や届出を伴う改造工事がなかったため、書類上は旧称のままで問題なかったところ、東京横浜電鉄との合併()を控えて整合性を取る必要に迫られての届出だったものと思われます。
    • の東京急行電鉄発足に際しての改番では再び「デワ」「デト」とされました。
  • 付随貨車はに監督局から出された通牒を元に一斉改番が8月31日に行われ、「フト」が「ト」ないし「トム」になり形式称号も変更されました。同年実施の鉄道省貨車の称号規定変更に合わせたものと思われますが、こちらは目黒蒲田電鉄、東京横浜電鉄ともに書類が残っているため表中に含めています。
  • 表中の鉄道事業者および車両譲受元、譲渡先の名称は以下のとおり省略表記しています。
    • 目蒲:目黒蒲田電鉄
    • 東横:東京横浜電鉄(に目黒蒲田電鉄と合併する前まで)
    • 新東横:東京横浜電鉄(旧・東京横浜電鉄と合併した目黒蒲田電鉄がその直後のに「東京横浜電鉄」へ商号変更して以降)
    • 雄別:雄別炭鉱鉄道(後の雄別鉄道、1970年廃止)
    • 留萠:留萠鉄道(1971年廃止)
    • 上州:上州鉄道(現:東武鉄道小泉線)
    • 播丹:播丹鉄道(現:JR 加古川線および北条鉄道)
    • 旭日:旭日機械製作所
    • 朝工:朝日工業製作所(東京市下谷区山伏町に存在した車両部品を扱う会社)

デト1形、3形 → デト4形(一部)→ モト1形、3形、4形

デト1形は目黒蒲田電鉄の最初の路線である目黒―丸子間がに開通するのに伴い、旅客車のデハ1形、付随貨車のト1形とともに製造された無蓋電動貨車です。

にはデト3 が増備されましたが、この車両は車体幅が若干広がるなどの仕様変更があったためかデト3形として形式が区別されています[5]。ただし初期の書類には形式表記がなく、製造時からデト3形を名乗っていたかどうかは定かではありません。また「モト」への記号変更後のことですが、現車表記は形式モト1とされている写真が記録されているため[6]、現場ではとくに区別なく取り扱われていた可能性もあります。

には東京横浜電鉄の丸子多摩川〜神奈川間の開通に向けてデト4〜6 が製造されました。このグループは車体メーカーの違いによるものか、目蒲デト1形ともデト3形とも車体寸法が若干異なるものの、形式呼称はデト1形とされました。

東京横浜電鉄の3両はにトロリーポールをパンタグラフに変更する改造認可申請が行われたのですが、認可直後にデト4 のみ省線駅構内の入換作業用としてトロリーポールを撤去せず、新設のパンタグラフと併用するよう変更の認可申請が行われ、その竣功時にはデト4 のみデト4形に変更されています。なお、デト5〜6 はデト1形のままとされたため、この時点で無蓋電動貨車はデト1形(デト1〜2, 5〜6)、デト3形(デト3)、デト4形(デト4)の3形式6両というややこしい状況になっていました。

さらににはモト4 が車体改造を受けて有蓋電動貨車(モワ3形)へ変更されたため、モト4形は形式消滅しました。

車号 発注 購入 パンタグラフ取り付け 有蓋電動貨車化 番号改正 備考
申請 認可 竣功 申請 認可 パンタ併用申請 パンタ併用認可 竣功 申請 届出
デト1→モト1 目蒲 車両購入許可申請書 監第2517号 目電第78号 車両竣功図表提出届 デト1形→モト1形、デト3形→モト3形 目電卯第962号 電動貨車形式称号記号番号変更届
デト2→モト2
デト3→モト3 目電第165号 車両購入認可申請書 監第1713号 目電第350号 車両竣功御届
デト4→モト4 東横 庶第923号 車両購入認可申請書 監第2149号 東横寅第164号 車両竣功御届 東横辰第403号 車両設計変更認可申請書 監第1461号 東横辰第875号 車両設計変更認可申請書 監第2355号 デト4 のみデト1形→デト4形 東横辰第1312号 車両竣功届 モト4形→モワ3形 東横未第207号 電動貨車設計変更認可申請書 以降モワ3形
デト5→モト5
デト6→モト6
  • デト1〜2 の購入申請書類の表題は許可申請(認可でなく許可)となっているが、おそらく単なる記載ミスで、監督局側からも言及されることなく認可として処理されている。
  • 目黒蒲田電鉄所属のデト1〜3 はに記号変更届が提出されているが、概要に記したとおり実際はそれ以前から改称されていたものと思われる。

ト1形(初代)→ フト10形(一部)→ ト1形(2代目)、11形

電動貨車のデト1形とともに製造された付随貨車で、7トン積みの無蓋車として製造されましたが、これは積載重量10トンのものを7トンとして認可を受けたためであり、後に10トン化されています[7]

4両が製造されましたが、にはト3〜4 の2両のみ側ブレーキに加えて手ブレーキを追加する改造が行われ、フト10形へ改番されました。

には他の付随貨車を含めた一斉改番が行われ、フト10形はト11形へ形式変更されました。この際、フト化が行われなかったト1〜2 については車番の変更こそなかったものの、(旧)ト1形から(新)ト1形への変更が行われた扱いであったようで、後の車両竣功図表にも形式称号 ト1 に対して旧番号 ト1と書かれています。

時点でト1形、ト11形ともにねじ式連結器のため使用停止中とあり[8]、付随貨車の中ではもっとも早くト5形とともに廃車されました。

車号 発注 購入 フト10形化 番号改正 廃車
申請 認可 竣功 申請 認可 竣功 実施 報告 届出
ト1→ト1 目蒲 車両購入許可申請書 監第2517号 目電第78号 車両竣功図表提出届 ト1形→ト1形、フト10形→ト11形 目電巳第265号 目電亥第724号 貨車廃止届
ト2→ト2
ト3→フト11→ト11 ト1形→フト10形 目電第171号 車両設計変更許可申請書 監第1368号 目電第203号 車両竣功御届
ト4→フト12→ト12
  • 購入申請書類の表題は許可申請(認可でなく許可)となっているが、おそらく単なる記載ミスで、監督局側からも言及されることなく認可として処理されている。
  • ト1形とフト10形の新旧車号対照は認可書類からは特定できない。上表は若い順に変更されたと仮定している。

フト1形 → ト15形

ト1形と比べて若干の寸法変更が行われているもののほぼ同じ大きさの無蓋車ですが、こちらは当初から10トン積みとされ、また自重は 4t → 5.5t に増加しています。制動装置は側ブレーキのほかに手ブレーキが設けられ、「フト」の記号からしても緩急車として使用されていたものと思われます。

新製時の認可書類によると当初から自動連結器の取り付け準備が行われていたようで、鉄道省貨車の自動連結器への一斉交換に少し遅れてにはデワ1、デト1、フト21〜25 とともに自動連結器化されています[9]

の付随貨車一斉改番ではト15形に形式変更が行われました。

車号 発注 購入 番号改正
申請 認可 竣功 実施 報告
フト1→ト15 目蒲 目電第280号 貨車購入認可申請書 監第3350号 目電第97号 貨車竣功御届 フト1形→ト15形 目電巳第265号
フト2→ト16
フト3→ト17
フト4→ト18

ト5形(初代)→ ト5形(2代目)

上州鉄道(現:東武鉄道小泉線)より譲受した9トン積み無蓋車で、に譲受認可を受けていますが、竣功はそれから3年半以上もの期間が経ったとなっています。車体長はト1形より若干短く、目黒蒲田電鉄における最小の貨車でしたが、台車の固定軸距はこのサイズの貨車にしては長い部類で後述の東横フト40形と同じ 2,727mm です。

上州鉄道側の認可申請書類によると、譲渡の理由として来ル大正十五年四月一日以降御省線内ヘ直通運轉不能ニ有之且ツ改修ニ多大ノ費用ヲ要スルヲ以テ此際賣却スル方有利と記載されています[10]。これは鉄道省貨車における自動連結器への一斉交換に関連して、より10トン積み未満の貨車直通が禁止されたことを表します[11]

の付随貨車一斉改番では車番の変更こそなかったものの、(旧)ト5形から(新)ト5形への変更が行われた扱いであったようで、後の車両竣功図表にも形式称号 ト5 に対して、上州鉄道車号をわざわざ削除して旧番号 ト5と書き替えられています。

時点でねじ式連結器のため使用停止中とあり[12]ト1形、ト11形とともに廃車されました。

車号 前所有 所属 譲受 番号改正 廃車
申請 認可 竣功 実施 報告 届出
ト5→ト5 上州ト1, 2 目蒲 目電第319号 監第3213号 目電第230号 貨車竣功御届 ト5形→ト5形 目電巳第265号 目電亥第724号 貨車廃止届
ト6→ト6
  • 上州鉄道時代の車号は目黒蒲田電鉄の譲受申請書類からは確認できないが、上州側の譲渡申請書類に記載がある[13]。また目蒲の車両竣功図表にも旧番号の記載があるが、メーカーや製造年月は不明とされている。

デワ1形 → モワ1形、3形

目黒蒲田電鉄ではデト3 の増備と同時に有蓋電動貨車のデワ1 が製造されました。

には東京横浜電鉄の丸子多摩川〜神奈川間の開通に向けて、デト4〜6 とともにデワ2 が製造されました。車体メーカーの違いによるものか、目蒲デト1 とは車体寸法が若干異なります。

東京横浜電鉄では前述のとおり、にはモト4 が車体改造を受けて有蓋化されたのですが、トロリーポールとパンタグラフを併用しているなど他車と形態が異なるためか、モワ1形ではなくモワ3形とされました。なお、にはトロリーポールが撤去されていますが[14]、形式統合はされていません[15]

車号 発注 購入 番号改正
申請 認可 竣功 届出
デワ1→モワ1 目蒲 目電第165号 車両購入認可申請書 監第1713号 目電第350号 車両竣功御届 デワ1形→モワ1形 目電卯第962号 電動貨車形式称号記号番号変更届
デワ2→モワ2 東横 庶第923号 車両購入認可申請書 監第2149号 東横寅第164号 車両竣功御届
車号 旧車号 所属 無蓋→有蓋電動貨車化
申請 認可 竣功
モワ3 モト4 東横 東横未第207号 電動貨車設計変更認可申請書 監第383号 東横未第742号 車両竣功届
  • 目黒蒲田電鉄所属のデワ1 はに記号変更届が提出されているが、概要に記したとおり実際はそれ以前から改称されていたものと思われる。

ト20形(?) → フト20形 → ト21形

播丹鉄道(現:JR 加古川線および北条鉄道)のト700形を譲受した12トン積み無蓋車で、譲受認可ののち、竣功を待たずに手ブレーキ追加およびそれに伴い車体高さを増加する設計変更申請が提出されてフト20形となりました。このため譲受時のト21〜24 であった期間はきわめて短いか、あるいは現車は最初からフト21〜24 であった可能性も考えられます。

目黒蒲田電鉄の付随貨車では唯一の4枚側(他車は3枚板)であるのが最大の特徴で、台車の固定軸距も 3,030mm と長いものとなっています。

の付随貨車一斉改番ではト21形に形式変更が行われました。

にト21〜23 の3両は東京横浜電鉄トム81形とともに古巣である播丹鉄道へ貸渡が行われ、その3両はに廃車(朝日工業製作所へ売却)、残りの2両は(新)東京横浜電鉄へ引き継がれています。

車号 前所有 所属 譲受 フト20形化 番号改正 貸渡 廃車
申請 認可 竣功 申請 認可 竣功 実施 報告 届出 延長届出 届出
ト21→フト21→ト21 播丹ト735–739 目蒲 目電第52号 貨車譲受認可申請書 監第665号 目電第184号 車両竣功御届 ト20形(?)→フト20形 目電第165号 車両設計変更認可申請書 監第1367号 目電第203号 車両竣功御届 フト20形→ト21形 目電巳第265号 目蒲→播丹(引き渡しより3か月間) 目電丑第474号 貨車貸渡御届 目蒲→播丹(1937年8月19日〜12月31日) 目電丑第1417号 車両貸渡期間延長届 目蒲→朝工 目電卯第496号 貨車廃車届
ト22→フト22→ト22
ト23→フト23→ト23
ト24→フト24→ト24
ト25→フト25→ト25
  • 譲受竣功時の形式は認可書類からは確認できないが、他の付随貨車の称号パターンからするとト20形だったものと推定される。
  • ト20形(?)とフト20形の新旧車号対照は認可書類からは特定できない。上表は番号はそのままに記号のみ変更されたと仮定している。

フト30形 → ト31形

フト20形の譲受とほぼ同じタイミングで新製された10トン積み無蓋車で、車体寸法はフト1形に近く、台車の固定軸距も同一ですが、手ブレーキの位置が高い(4枚側のフト20形より若干高い)のと当初から自動連結器を装備していた違いがあります。

の付随貨車一斉改番ではト31形に形式変更が行われました。

車号 発注 購入 番号改正
申請 認可 竣功 実施 報告
フト31 目蒲 目電第122号 貨車購入認可申請書 監第1059号 目電第203号 車両竣功御届 フト30形→ト31形 目電巳第265号
フト32
フト33
フト34
フト35

フト40形 → ト41形

東京横浜電鉄が最初に導入した付随貨車で、自動連結器装備の10トン積み無蓋車ですが、目黒蒲田電鉄のフト30形と比べると台車の固定軸距が長くなった違いがあります。

旅客車のデハ100形や電動貨車のデワ1形デト1形に先行してもっとも早く購入認可申請が行われていますが、竣功はデワ2、デト4〜6 と同時となりました。

の付随貨車一斉改番ではト41形に形式変更が行われ、その後8両は目黒蒲田電鉄のト21〜23 とともに廃車(朝日工業製作所へ売却)されました。

車号 発注 購入 番号改正 廃車
申請 認可 竣功 実施 報告 届出
フト41→ト41 東横 庶第414号 貨車購入認可申請書 監第1119号 東横寅第164号 車両竣功御届 フト40形→ト41形 東横巳第200号
フト42→ト42 東横→朝工 東横卯第1842号 貨車廃車届
フト43→ト43
フト44→ト44
フト45→ト45 東横→朝工 東横卯第1842号 貨車廃車届
フト46→ト46
フト47→ト47 東横→朝工 東横卯第1842号 貨車廃車届
フト48→ト48
フト49→ト49
フト50→ト50
フト51→ト51 東横→朝工 東横卯第1842号 貨車廃車届
フト52→ト52
フト53→ト53 東横→朝工 東横卯第1842号 貨車廃車届
フト54→ト54
フト55→ト55
フト56→ト56
フト57→ト57
フト58→ト58
フト59→ト59 東横→朝工 東横卯第1842号 貨車廃車届
フト60→ト60
フト61→ト61
フト62→ト62
フト63→ト63 東横→朝工 東横卯第1842号 貨車廃車届
フト64→ト64
フト65→ト65
フト66→ト66
フト67→ト67
フト68→ト68
フト69→ト69 東横→朝工 東横卯第1842号 貨車廃車届
フト70→ト70

鉄道省10形(未入籍)

東京横浜電鉄が路線建設用に鉄道省の門司鉄道局10形を購入したもので、メーカー名から「クラウス号」の愛称で親しまれている4輪タンク式の蒸気機関車です。

東京横浜電鉄では車両としての入籍はしていないため、認可書類も存在しませんが、購入元である鉄道省などの関係書類によればに売却契約[16]ののち9月に譲受[17]されたとあります。

東横線の建設工事に使用されたのち、北海道の昭和炭鉱で使用されることになり、その所有者である明治鉱業への譲渡を経て留萠鉄道の車籍を得ることになりました。

車号 所有 購入 譲渡
売却契約 譲渡先申請/届出 譲渡先認可
15 東横 鉄道省→東横 丑売第234号 東横→留萠 構内運転用機関車使用認可申請書 監第650号
17 東横→留萠 構内運転用機関車増備届
  • 東京横浜電鉄の認可書類は存在しないため、上表では参考として購入元の鉄道省、および譲渡先で車籍を得た留萠鉄道の認可・届出書類に記されたデータを挙げる。
  • 留萠鉄道では1両ずつ2回に分けて機関車使用の認可申請および届出を行っているが、あくまで明治鉱業に譲渡されたのちの留萠鉄道における手続きであり、東京横浜電鉄から明治鉱業への譲渡が1両ずつだったのかどうかは明らかでない。

フト80形 → トム81形

丸子多摩川〜神奈川間の開通後に増備された15トン積みの無蓋車で、車体サイズや台車固定軸距も全体的に拡大されています。

妻面は中央部が高い山型となり、側面中央部には観音開きの扉が装備された俗にいう観音トムとなったのが特徴で、手ブレーキがあることを除けば各種寸法を含めて鉄道省ト24000形後期車(のちのトム16000形)に酷似した構造となっています。

の付随貨車一斉改番ではトム81形に形式変更が行われました。

には15両が目黒蒲田電鉄のト21〜23 とともに播丹鉄道へ貸渡され、さらにには15両が雄別鉄道へ譲渡(播丹鉄道貸渡車と同じ両数だが車号は異なる)、残った5両はに廃車(旭日機械製作所へ売却)されたため、もっとも新しい付随貨車でありながら東京急行電鉄の発足前に全車が姿を消しています。

車号 発注 購入 番号改正 貸渡 譲渡
申請 認可 竣功 実施 報告 届出 延長届出 届出
フト81→トム81 東横 東横寅第990号 貨車購入認可申請書 監第1416号 東横寅第1046号 車両竣功御届 フト80形→トム81形 東横巳第200号 東横→播丹(引き渡しより3か月間) 東横丑第630号 貨車貸渡御届 東横→播丹(1937年8月19日〜12月31日) 東横丑第1946号 車両貸渡期間延長届 東横→雄別 東横寅第3986号
フト82→トム82
フト83→トム83
フト84→トム84 東横→播丹 東横亥第630号 東横→播丹(1937年8月19日〜12月31日) 東横丑第1946号 車両貸渡期間延長届 新東横→旭日 東辰第1055号 15トン貨車譲渡届
フト85→トム85 東横→雄別 東横寅第3986号
フト86→トム86 新東横→旭日 東辰第1055号 15トン貨車譲渡届
フト87→トム87 東横→雄別 東横寅第3986号
フト88→トム88 東横→播丹 東横亥第630号 東横→播丹(1937年8月19日〜12月31日) 東横丑第1946号 車両貸渡期間延長届 新東横→旭日 東辰第1055号 15トン貨車譲渡届
フト89→トム89 東横→雄別 東横寅第3986号
フト90→トム90
フト91→トム91 東横寅第1233号 車両竣功御届
フト92→トム92 東横→播丹 東横亥第630号 東横→播丹(1937年8月19日〜12月31日) 東横丑第1946号 車両貸渡期間延長届
フト93→トム93
フト94→トム94 新東横→旭日 東辰第1055号 15トン貨車譲渡届
フト95→トム95 東横→雄別 東横寅第3986号
フト96→トム96
フト97→トム97 東横→播丹 東横亥第630号 東横→播丹(1937年8月19日〜12月31日) 東横丑第1946号 車両貸渡期間延長届
フト98→トム98 新東横→旭日 東辰第1055号 15トン貨車譲渡届
フト99→トム99 東横→雄別 東横寅第3986号
フト100→トム100 東横→播丹 東横亥第630号 東横→播丹(1937年8月19日〜12月31日) 東横丑第1946号 車両貸渡期間延長届
  • トム84, 86, 88, 94, 98 の5両は鉄道事業者ではなく工作機械を扱う会社「旭日機械製作所」へ売却されたが、届出書類の表題は譲渡届となっている。ただし譲渡の脇に手書きにて廃車とメモ書きがあり、実質的に廃車扱いと見なせるだろう。

デキ1形

東京横浜電鉄が発注した凸型電気機関車で、前述の車籍のない10形蒸気機関車を除けば唯一の機関車です。

車号 発注 購入
申請 認可 竣功
デキ1 東横 東横巳第2164号 電気機関車購入認可申請書 監第3923号 東横巳第2499号 車両竣功届

デト1形(池上電気鉄道引継、無入籍)

に目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道を吸収合併したことに伴い、池上のデト1形を引き継いだものです。

池上電気鉄道では竣功届が提出されず無入籍の扱いだったものですが、目黒蒲田電鉄においても改番リストや車両一覧表に含まれていないためやはり無入籍の扱いだった模様です。

目黒蒲田電鉄への合併後のに車庫で撮影された写真が残されていますが[18]、その時点においてもなお自動連結器化やパンタグラフ化が行われておらず、また灯具も取り外されているため稼働できる状態だったのかは不明です。

車号 前所有 池上合併に伴う改番
届出
デト1 池上(無入籍) 届出なし

脚注