寄居町の荒川脇に眠る秩父鉄道2000系の廃車体

東急(旧)7000系のうち、秩父鉄道に譲渡された車両(2000系)は2000年に全車廃車となりましたが、一部の廃車体が現存しているという噂を聞いていました。

といってもあまり気に留めていなかったのですが、近年8090系などの元東急車が再び入線して秩父方面に行く機会も多くなっていたことからこのことを思い出して調べてみたところ、どうも東上線の鉢形―玉淀間の橋梁の近くにあるらしいということが分かり、ちょっと行ってみました。

車体が置かれている場所は私有地のようで、周囲も含めて近づくことができないので、観察は荒川の対岸からとなります。

秩父鉄道2000系の廃車体
廃車体がある場所はこんなところ

車体を半分くらいに切断された先頭車が"ダルマ"状態で置かれているのが分かります。青色の正面帯も残っているので、まず間違いなく秩父鉄道2000系でしょう(他の東急7000系ではなく)。側窓は住居用のものに取り替えられていますが、先頭部は比較的原型を留めています。

また、肉眼だとまず分からないのですが、よく見ると奥にもう1両います。こちらは側面がほとんど改造ないし上から覆われているのかステンレス部分がほとんど見えません。先頭部も前尾灯ケースが撤去されているなど、手前の車体より状態は悪そうです。

奥にもう1両存在する
  1. 形態から車番を推測する
  2. 皆野町内に保管されていた3両
  3. デハ2302の乗務員扉は形態が異なる?
  4. 2002Fの衝突脱線事故について
  5. 結局どうなの?

形態から車番を推測する

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この距離からでは細かい部分は見えないので、形態から車番を特定することは困難ですが、手前の車両はある程度は絞り込めます(奥の車両は先頭部以外ほとんど見えないので諦めます)。

まず、秩父鉄道に譲渡された旧7000系のうち、先頭車は以下の8両です。

車両 東急車番 呼称
デハ2001 7017 4次車
デハ2002 7035 9次車
デハ2003 7021 5次車
デハ2004 7061 10次車
デハ2301 7036 9次車
デハ2302 7016 4次車
デハ2303 7022 5次車
デハ2304 7028 6次車

手前の車両を観察すると、前尾灯ケースが金属製でした。最終増備の10次車のみケースがFRP製なので[1]、デハ2004は除外されます。

次に、乗務員扉の下部の沓摺りの張り出しが長いタイプとなっています。9次車以降は短いなので、デハ2002と2301は除外。

側引戸は窓が金属支持のタイプなので、Hゴム支持だったデハ2003と2303も除外。

これらのことから候補はデハ2001, 2302, 2304に絞られます。このほか、もし乗務員扉脇の車番プレート上部に運行札の取付具が残っていれば4次車以前であるといえますが、残念ながらカバーが掛けられており見えないので分かりません。

皆野町内に保管されていた3両

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2000系のうち先頭車3両の車体(デハ2001, 2004, 2304)が廃車後しばらくの間、皆野町で保管されていたようです。当時の様子はとらえもんさんの報告が参考になります。

デハ2004以外の2両は前尾灯ケースが撤去されているので、少なくとも「手前の車両」ではないでしょう。また、もっとも左に置かれていたデハ2004は先述のとおりケースがFRP製なのでこれも違います。

以上を総合すると、これら3両はいずれも該当せず、残るデハ2302であるように思われます……が。

デハ2302の乗務員扉は形態が異なる?

§

PON鉄道さんのブログ記事 秩父鉄道の車両を作る1(blogs.yahoo.co.jp) に、デハ2001ともう一両が向かい合っている写真が掲載されているのですが、写真左側の車両は乗務員扉の形態が異なります。具体的には、窓枠の材質が異なり(おそらく東急7700系と同じくステンレス製)、扉下部には把手が取り付けられています。

デハ2302とデハ2001(PONさん撮影)

で、この車両ですが運転台の向き的にデハ2300形、また側面に運行札の取付具があるので4次車以前、つまりデハ2302と思われます。ところが、倉庫になっている「手前の車両」はデハ2001のタイプの乗務員扉なので、デハ2302とは違う車両なのではないかという疑惑も。

2002Fの衝突脱線事故について

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その2002Fは秩父鉄道での営業開始数日後に事故で脱線したことがあります。当時の新聞記事より状況を引用します。

寄居町末野の秩父鉄道善導寺踏切で、熊谷発三峰口行き電車(4両編成)が、踏切に入ってきた本庄市内の会社員(51)のライトバンに衝突。電車は先頭の1両が脱線、架線の支柱3本をなぎ倒して約180メートル走って止まった。

(中略)

運転席は左側。反対の右側の車両前部は、脱線した際に架線を支える鉄柱にぶつかりおおきくひしゃげた。

(中略)

「4両目はガラスの破片をかぶったひとがたくさんいた。車内はホコリでもうもうとしていた。」

秩父夜祭で電車が脱線 寄居の踏切でライトバンと衝突 埼玉(朝日新聞埼玉版 1991年12月4日朝刊)

これらの情報から、少なくとも三峰口方先頭車のデハ2002右側は車体を損傷したことが分かります。最後部のデハ2302についても、ガラスが割れるほどの衝撃があったことがうかがえますが、他の車両も含めて乗客に負傷者は居なかったようなので、衝突と反対方向である車掌台側の乗務員扉を交換するほどではないような気がします。

結局どうなの?

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新しい情報がない限り特定不可能なんじゃないかと思います。

あくまで推測ですが、デハ2302の乗務員扉は左右で異なっており、ステンレス窓枠なのは車掌台側のみだったのではないかと思っています(衝突事故とは関係なく片側だけ交換された)。

どこかに運転台側の乗務員扉が写った写真を公開しているサイトありませんかね。あるいは、Hゴムタイプの側引戸は秩父時代に交換された車両もあった、もしくは倉庫になる時に交換したのかもしれませんが。

脚注

  • 1.

    例外は北陸鉄道クハ7112ですが、これは事故復旧の際に生じた変化と思われます。 ↩ 戻る