大井川鐵道ナロ80形、スイテ82形のKS-33形台車を検証する

前回からだいぶ間が空いてしまいましたが、東急デハ3700形、クハ3750形のKS-33形台車の行方の続きです。気になる大井川鐵道ナロ80形、スイテ82形の台車を実際に見てみます。

大井川鐵道ナロ801
大井川鐵道スイテ821
  1. 製造時期
  2. 軸受け
  3. 枕ばね
  4. 京阪電鉄のオイルダンパ式台車
  5. 釣合ばね位置などで絞り込む

製造時期

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ナロ802の台車には銘板が見あたらないのですが、ナロ801とスイテ821の台車銘板を見ると、住友グループの井桁マークとともに「扶桑」の文字が見えます。

スイテ821の金谷方台車銘板

「扶桑」とは住友金属工業の旧社名である扶桑金属工業か新扶桑金属工業を指しているものと思われますが、住友金属ガイドブック(www.sumitomometals.co.jp) の「2. 会社の概況」によると、次のような変遷をたどっています。

  • 1945(昭和20)年11月に(旧)住友金属工業から扶桑金属工業へ商号変更
  • 1949(昭和24)年7月に新扶桑金属工業を設立
  • 1952(昭和27)年5月に再び住友金属工業へ商号変更

つまり、少なくとも銘板の残る台車については、社名に「扶桑」が含まれた1945年〜1952年の間に製造された個体と言えるでしょう。

また、「台車のすべて13」(鉄道ピクトリアルNo.99・1959年10月号)にて東急も含めたKS-33形の製造年と納入先一覧表が載っているのですが、この製造期間で絞り込むとこうなります。

区分 製造年 納入先
KS-33L 1947(昭和22)年 奈良 H139
KS-33L 1947年 東急 H141
KS-33L 1947年 東武 H142
KS-33L 1947年 近鉄 H143
KS-33L 1947年 南海 H146
KS-33L 1948(昭和23)年 近鉄
KS-33L 1948年 京阪神 H147, H153
KS-33L 1948年 京阪 H155
KS-33L 1948年 東武 H508
KS-33L 1948年 西日本 H510
KS-33L 1949(昭和24)年 京阪神 H511, H512
KS-33E 1949年 小田急 H514
KS-33E 1949年 近鉄 H515,H525,H2003
KS-33E 1950(昭和25)年 京阪神 H2018, H2024, H2051
KS-33E 1950年 遠州 H2056
KS-33E 1951(昭和26)年 秩父 H2063
KS-33E 1951年 長野 H2086
KS-33E 1951年 三重 H2104

軸受け

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3両分6台ともコロ軸受けになっています。KS-33形の軸受けについては、中川浩一氏の「私鉄高速電車発達史」にこんな記述があります。

ただ軸受をコロ軸受とする場合には,省のモハ63形と同じJ12形の使用が求められていた.しかし,22年度でコロ軸受を使用したのは,東京急行電鉄・京阪神急行電鉄・西日本鉄道の3社だけであった.

私鉄高速電車発達史〔5〕(鉄道ピクトリアルNo.170・1965年5月号)

同連載6回目に掲載されている第7表「昭和22年度に製造された運輸省規格型電車」も参考にすると、

  • 1947年の奈良電気鉄道納入分
  • 1947年の東武鉄道納入分
  • 1948年の近畿日本鉄道納入分

については、少なくとも製造時は平軸受であったようです。

枕ばね

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前記事のとおり、オイルダンパ式となっています。オイルダンパ化工事については、「台車のすべて」にこんな記述があります。

また東急のKS33Lは終戦直後のものでしたが,早くも一部に「クラック」があったので全車に亘ってドック入りとなりついでにマクラバネをコイル式に改造しました.

(中略)

なお阪急なども同様な改造を行なわせたといいますが確認しておりません.

「台車のすべて14」(鉄道ピクトリアルNo.106・1960年5月号)

阪急系の文献を軽く調べてみたのですが、オイルダンパ化に関する記載は見あたりませんでした。

京阪電鉄のオイルダンパ式台車

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慶應義塾大学鉄道研究会編集の「私鉄電車のアルバム1B」に当時の現存台車の写真が豊富に掲載されており、KS-33形だけでもなんと22種類あります。

これを見ると、東急3700形(名鉄3880系)のほかに京阪1300系の台車も枕ばねがオイルダンパ化されています。京阪電鉄は他車種でも積極的にオイルダンパを導入していたようですが、東急のものとは形態が異なるうえ、台車自体も釣合ばね形状など微妙な違いがあります。

釣合ばね位置などで絞り込む

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同じく「私鉄電車のアルバム1B」を見ると、同じKS-33形でも形態に多くのバリエーションが存在する事が分かります。

初期の台車は釣合ばりが三日月形となっていますが、これらは形状の違いはもちろん、先に行った製造年での絞り込みにより除外されます。

三日月形釣合ばりのKS-33L形台車を履いた銚子電気鉄道デハ701(2010年に引退)

U字形(Depressed形)タイプの台車で軸距(2,300mm)や釣合ばね位置による分類を行うと、大鐵台車に近い形態は次の3つに絞られます。

  • 東急3700形(名鉄3880系)、H-141
  • 東武5310系(後の3070系)、H-142
  • 小田急1900系、H-514

このうち、軸受け形状が同じものは東急と小田急のみです。さらに両者をよく見比べると、釣合ばねの下側ばね座(Equalizer Spring Seat)の形状に違いがあることが分かります。

  • ばね座の形状については次々回の記事にて写真を紹介する予定です。

以上のことから、製造年と形状の絞り込みにより、大井川鐵道ナロ80形、スイテ82形のKS-33形台車は東急デハ3700形とクハ3750形で使われていたものが車両ごと名鉄に譲渡され、廃車後に同社のク2780形などに転用のうえ、さらにその一部が大鐵入りしたものと推察されます。

もちろん「私鉄電車のアルバム」が当時のすべてを網羅していたわけではないでしょうし、同じ車種でも車両によって形態が異なる台車が存在した可能性もあります。台車銘板の製造年がつぶれて読めないこともあり、決定的な証拠がなく確証までには至りませんでしたが、いったん検証はここまでにしたいと思います。

次回は石川県の山中に存在するKS-33形台車を見に行きます。